2004年12月13日(月) |
『ただ一人のためのギャルソン』(オガヒカ。ヒカル18歳) |
12月24日。クリスマスイブ。 この日のケーキ屋は、とにかく忙しい。
ケーキの味と姿の美しさ、そして会社帰りに寄っても大丈夫な深夜営業の評判は、クチコミから始まり雑誌、テレビ等にも紹介され、そのため、「西洋骨董洋菓子店〜アンティーク」は、例年以上の忙しさをみせていた。
開店と同時にクリスマスケーキを求めにくる客が列をつくり、イートインのコーナーにもカップルや女性客がひしめいてた。 普段であれば、どんなに客が混もうとも、舌先三寸、口八丁の手八丁、営業用スマイルで鮮やかにさばいてしまうオーナーがいるのだが、今日ばかりはそうもいかない。 彼は上機嫌で、サンタに扮したままソリならぬ赤いフェラーリでケーキの配達に行ってしまった。 チーフ・パティシェの小野はケーキの製作にかかりっさきりになり、助手のエージは主に窓口で持ち帰り客の応対をしながら、師匠を手伝っていた。 ――そうなると、店の中の業務はすべて……小早川千景の双肩にのしかかってくるのだが。
「ねぇ〜、注文とってほしいんだけど〜〜」 「すいません、もうしばらくお待ちください」 「今食べたケーキ、持ち帰りできる?」 「すいません、もうしばらくお待ちください」 「お勘定いいかな〜」 「すいません、もうしばらくお待ちください」 「コーヒーまだ?」 「すいません、もうしばらくお待ちください」
………のしかかりすぎて今にもツブれそうな様相である。
(――若―――!助けてください―――!!) 心の中で滂沱の涙を流しつつ、サングラスのギャルソンは、一歩歩くたびに謝り倒しながら動いていた。
そしてまた、カランコロン、と無情なカウベルが鳴る。
「すいません、もうしばらくお待ちください」
オウム状態の店員からは、「いらっしゃいませ」の言葉すらも出てこなかった。
「…何だこの惨状は」
長身の男は、慣れた風にコートを脱ぐと年月の経った艶のある外套掛けにかけ、千景のから回りっぷりに眉をひそめた。 ヒカルが、待ち合わせはココで……と指定してきたので、不承不承来てみたが、待ち人もおらず、店内には壊れたレコードのように同じ言葉しか発しない男がマゴついている。
「ちーちゃん、あとでおしぼりちょ〜だい」 「すいません、もうしばらくお待ちください」 「ここ、エスプレッソってできるの?」 「すいません、もうしばらくお待ちください」 「さっき頼んだバフェまだ〜?」 「すいません、もうしばらくお待ちください」
そう言いながら、千景はトレイに乗せたコーヒーをこぼさぬようバランスをとるのに必死だ。
――ぷち。
緒方の頭の奥で何かが小さく切れ、ずかずかとカウンターに入ると手早くエスプレッソマシンをセットし、その間にカップにブレンドコーヒーを注いでソーサーにスプーンを添え、そのそばにミルクピッチャーを置き、ミルクパンに牛乳を入れて火にかけた。 「ええと、次はコーヒーふたつ……」 「ほらよ」 「えええ?!」 千景は驚きのあまりすっとんきょうな声をあげた。 先程まで、誰もいなかった筈のカウンターに、緒方が上着を脱いでカッターシャツをまくりあげ、手近にあった黒のシェフエプロンを身につけていたのだから。 「待ち合わせのついでだ。ヒカルが来るまで、コーヒー煎れるくらいならやってやるよ」 「…でもあの、エスプレッソという注文もあるんです〜」 「今できたぞ。そら持って行け」
棒立ちの千景の手からトレイを取上げ、コーヒーふたつとエスプレッソひとつ、そしてそのぶんの伝票をソーサーの下にねじ込んでやる。 「カップが小さいのがエスプレッソだ」 「は、はい〜〜」 千景がぎくしゃくとコーヒーを運んでいくと、緒方は沸騰しかけた牛乳の火を止め、紅茶の葉っぱを放り込んでから蓋をした。ついでに紅茶ポットに何杯か紅茶を入れ、電動ポットからお湯をそそぐ。それにティーコゼーを被せた後、水につけてあったネルドリップを取り出してかるく水を絞り、コーヒー用ポットにセットした。コンロにかけたやかんのお湯が沸いているのは確認済みだ。既に挽いてあるコーヒーを適量、ネルドリップに入れる。
「ちぃ〜、パフェとザッハとチーズケーキあがったぜ〜〜。大丈夫かぁ?」 厨房からひょい、と顔を出したエージが見たのは、千景と似ても似つかぬ、亜麻色の髪をした目つきのするどい常連の姿だった。 「あれ、緒方さんじゃん。どしたの?」 エージの問いに、緒方は紅茶を紅茶用のカップに注ぎながら苦笑した。
「アレを見せられたんじゃなぁ……ゆっくり客にもなってられん」
イートインのフロアには、おたおた、ヨロヨロ、客の応対をする大きな図体のギャルソンの姿。 それもそうか、とエージは肩をすくめた。 「…じゃ、コレも頼まぁ。やっと持ち帰り客の行列がなくなったから、オレ、急いで先生手伝わねぇと!」 エージはパフェやケーキの乗った皿を緒方に押し付けると、ニカッと笑った。
「サンキュな!後で、俺の作った焼き菓子持ってけよ!」 「美味ければな」 「ばーか。不味いワケねーだろ!」
可愛らしい容貌の割にやや柄の悪い見習いパティシェは、ぐっ、と親指を立てると、厨房のドアに消えていった。
|