2004年12月25日(土) |
『ただ一人のためのギャルソン』4(オガヒカ) |
緒方のマンションに帰ると、ヒカルは台所に駆け込んで早速「アンティーク」のクリスマスケーキを皿に出していた。
「…まだ食う気か?」 「いーじゃん!クリスマスなんだからさぁ〜!」
ちなみに先程、以前から行こうと思っていた博多ラーメン屋で夕食を済ませてきたばかりである。見事に当たりだったその味に2人は大変満足し、次に来た時のメニューまで相談したほどだ。 超特大ラーメンの早食い特典があるのを見て、ヒカルは「倉田さんに今度教えてあげよう♪」とはしゃいでいた。
(そのラーメン食う前にアップルパイ食ってる筈なんだがな……)
その細い体のどこに、あれだけのモノが入るんだか。今更ながら不思議に思えてしょうがない。 緒方はソファに座ると、手にしていた瓶をテーブルの上に置いた。
「…ねぇ、橘さんさっき何くれたの?」
ふたりがラーメンを堪能してマンションに変える途中、見覚えのある車だなぁと思ったら……橘のケーキ配達中に行き合った。 似合わない白ヒゲ、若すぎるサンタの姿に爆笑するヒカルを軽くこづいた彼は、車に乗ると、そこから瓶を取り出して緒方に投げてよこした。 「?」 「バイト代だよ。ありがたく貰いやがれ」 ふん、と言い捨てると、そのまま彼は次の配達先に去ってゆく。 家族の微笑みをもたらす、特別な「クリスマスケーキ」。 それを運ぶべく、フェラーリとサンタは今夜はがんばるのだ。
緒方は、目の前に置かれた瓶を眺めては、くつくつと笑った。 (バイト代云々は冗談だったんだがな……相変わらず、融通の利かない不器用な奴) …下手に器用なくせに。 テーブルに置かれた瓶は、緑と赤の細いリボンがくるくると巻いて、結ばれていた。
「…だからこれ、何?やっぱお酒?」 ヒカルは皿に盛り付けたチョコレート色のブッシュ・ド・ノエルをテーブルに置きながら、もう一度たずねる。さっきからこの瓶を眺めては緒方がくつくつと笑うので、興味深々といった風情だ。 「ああ。…カルヴァドスといってな。リンゴから作ったブランデーだ」 「なーんだ、やっぱお酒かぁ」 それじゃ飲めねーじゃん、とヒカルはふくれる。未成年だから大っぴらに飲めないし、それ以前にどうやらアルコールに対して弱いようなのだ。飲めたとしても梅酒がせいぜいで、ワインや日本酒などは、舐めるくらいしかできないから、美味しいかどうかも分からない。
「お前でも楽しめる方法があるぞ」 「そうなの?」 「ああ。ケーキでも食いながらちょっと待ってろ」 「緒方さんは?」 「………一口だけもらう」
俺が甘いモノが嫌いだと知っていてケンカ売ってるのかコノヤロウ、という一瞥をくれてから、彼はカルヴァドスのボトルを持って立ち上がった。 ボトルのラベルは、ジェラール・ペリゴー社の「カルヴァドス1978」。半日ばかりのバイト代の割には、随分とはりこんだものだ。 (今度知り合いの女流棋士に店のことを教えておいてやるか) …むろん、客を数名紹介するだけ。 そこから発展した関係になれるかどうかまでは、知ったことじゃない。そこまで親切にされたら、向こうの方が気味悪がってしまうだろう。 緒方は、今日最後のコーヒーを、ゆっくりと、丁寧に煎れはじめた。 友人がくれた贈り物を、恋人と一緒に楽しむために。
大人しくヒカルがケーキをぱくついていると、緒方がコーヒーをひとつと、水割りを入れて持ってくる。…もちろん、水割りは緒方の分だ。 「…?さっきのお酒、コーヒーに入れたの?」 「いいや、まだだ」 緒方はスプーンの上に乗った角砂糖をカップの上に置き、ヒカルの目の前に置く。それから、先日ヒカルが何故か100円均一で買ってきたキャンドルを水を入れたグラスに浮かべて、テーブルの中央に置いた。
「電気消すぞ」 「……うん」
隣に座った緒方がリモコンで一瞬にして真っ暗になった瞬間、カチン、と彼のジッポーの音がして、ほのかに彼の顔を照らし出した。 そしてその火をキャンドルではなく、スプーンの上の角砂糖に近づけたのだ。
「う……わ………!」
ゆらりと立ち上る、蒼い炎。 つめたい色なのに、何故かほんのりあたたかい。 そして香りたつ、林檎の甘い香り。
緒方は水に浮かべたキャンドルに火をつけると、カラン、とまだ蒼い炎が燃えていたスプーンをコーヒーカップの中に入れてしまった。
「あー!」 もう少し見ていたかったのに……!と非難めいた眼差しを緒方に向けると、彼は無造作にスプーンでカップの中をかきまわす。 「あれ以上燃やすとコゲ臭くて飲めたものじゃなくなるぞ」 「…へ?」 「これはこういう飲み物なんだ。…飲んでみろ」 「う…うん」 ヒカルはおそるおそるカップを両手で持ち、ふう、と一息吹いてからほんの少しだけ、口にふくんだ。
「………!」
ぱちぱち、とまばたきして、もう一口、こくん、と飲む。
緒方はそんなヒカルの様子に、微笑んだ。
「…どうだ?」
「甘くて…すっごい、良い香りがするvv」 にっこりと極上の笑顔を見せる恋人の頬に、緒方はかるく唇を触れさせた。 くすぐるようなそれに、ヒカルは肩をすくめる。 もう一口不思議な味がするコーヒーを飲みながら、ヒカルは緒方の肩にもたれた。
「さっきもさ…」 「…ん?」
カラン、と氷が踊る音がする。 コーヒーから立ち上るのと、同じ香り。
「さっきも…「アンティーク」で、俺にコーヒー煎れてくれたよね。生クリームでフワフワしたやつ」 「ああ…ウインナコーヒーな」
カップに顔を近づければ、優しい香り。 カップを持つ手は、あたたかいぬくみ。 …まるで、さっきの蒼い炎のよう。
「……俺、コーヒーって、あんまり好きじゃないんだけど」 「そうだったか?」 自分の目の前で、今、こうして美味しそうに飲んでいるのに。…ついさっき、店の中でも。 ヒカルはくすくすと笑った。 「…うん。そーなんだ。………けどね」 顎をくい、と見上げて、ヒカルは緒方を見上げる。
……そして、ふわり、と微笑んだ。
「俺、緒方さんが煎れてくれたコーヒーだけは、美味しいって思うよ」
緒方はその微笑に惹かれるまま、くちづける。
「……そうか」 「…………ん……?」
思いのままに、緒方は恋人の鼻に、頬に、まぶたに唇で触れる。…そして、柔らかなお気に入りのその黄金色の髪にも。
「…それなら……もうコーヒーはお前にしか煎れない」
誓いのように、髪にくちづけながら。 ヒカルはくすくすと微笑う。
「無理言ってら……」 「無理じゃないさ……」
唇で交わす、ふれあい。 それしか術を知らぬ、小鳥のように。 そのキスは……かすかに香る、カルドヴァスの香り。
いつしか、ヒカルが持っていたカップはテーブルの上に。 緒方が持っていたグラスも、その隣に。 食べかけのクリスマスケーキはそのままで。
……ゆらゆら、と、水の上に揺れるキャンドルの炎だけが、 静かに。ふたりを照らしていた。
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