2004年12月24日(金) |
『ただ一人のためのギャルソン』3(やっとオガヒカ…?) |
「……なにしてんの?」
ヒカルは店に入るなりこう言った。 カウンターの向こうには、見慣れた男が見慣れぬ格好で、ニヤニヤ笑いながら自分を手招きしている。
「…あ、進藤くん。いらっしゃい」
わたわたとケーキを運びながら、千景がヒカルを出迎えた。 「こんばんわ、千景さん。忙しそうだね」 「はい、おかげさまで」 千景の言う通り、昼間ほどではないにしろ、イートインは程よく客が入っている。 大変なのはテイクアウトの方らしく、本日分の製造を終えたパティシェ二人は、その応対に追われていた。 そんな忙しい中、あまり立ち話をするのも気が引けたので、ヒカルは緒方が呼ぶカウンターへと向かっていった。
「なにしてんの?」 「……まぁ、なりゆきでな……臨時のバイトだ」 緒方は苦笑しながら、コーヒーを2つのカップに注いだ。既に用意してあるトレイには、ミルクピッチャーとシュガーポット、そしてスプーンの乗ったソーサーが用意されていて、その上にカップを乗せる。 その頃に丁度、千景がケーキを出し終えて戻ってきた。 「コーヒー2つ。さっきのケーキの客だ。…それから帰りに隅のテーブルの男に注文聞いてこい。いま出せるケーキ一覧はコレな」 「はい〜〜」 言われるままに千景はコーヒーを運んでいった。
「…ヒカル」 こいこい、と呼ばれる。 「なに?」 「中に来い。そこじゃなくて」 「いいの?」 「今日は俺が此処を仕切ってるから、良いんだよ」 ものすごく偉そうな臨時のバイトは、自分が動くスペースに、ヒカルを招き入れた。 何だか、「オマエは特別だから」と言外に言われているようで、ちょっとこそばゆいけど……嬉しい。 「そこに椅子があるから、そこで座ってろ」 「うん」 喋りながら、緒方は牛乳を取り出してミルクパンで温め始めた。 ヒカルは頷いて、示された椅子に腰掛ける。そして、目の前でコーヒーや紅茶を煎れてゆく彼をじっと見ていた。
上から二つまで外されたシャツのボタンとか、無造作にまくりあげられた腕とか。黒いエプロンがきりっと似合ってるのに、どこかくだけた雰囲気があるのは、そのシャツの着方のせいだろうか。 (…忙しかったのかな…髪、ちょっとくしゃくしゃだ) 身繕いにうるさい緒方なのに、ちょっと珍しいものを発見した。ひょっとしたら気付いているけど、食べ物や飲み物を扱っているから…と、触れずにいるのかもしれない。
「緒方さん」
ちょっといい?…と呼びかけると、彼はすい、とヒカルに近づいた。 「何だ?」 「ちょっとかがんで」 「…?」 いぶかしげな表情をしながら、ヒカルの言う通りにすると、ヒカルは緒方の亜麻色の髪にそっと触れた。 「髪……くしゃくしゃだったから」 髪の乱れを直して、ヒカルはくす、と微笑む。もういいよ、とヒカルが髪から手を放そうとするのを捕まえて、緒方はさらに恋人に近づいた。
掠めるように、盗むように…… ……与えられた、一瞬の、キス。
「緒方さん!」 こんなところで……と、真っ赤になったヒカルを満足そうに眺めながら、緒方はもう一度かがんでみせた。 そして耳元で囁かれる。 「オマエが、あんな表情をするからだ」 ぞくぞくとするような、甘い声。思わず肩をすくめる。 「俺の…せい?」 「いいや」 緒方は、ヒカルの顔の間近でニヤリと笑う。その表情はまさしく情事の時のソレで……。 ――一瞬、ヒカルは此処がどこだか分からなくなった。
おおきな手が、ヒカルの顔を撫でる。 ヒカルはうっとりと目を閉じた。
「お前に触れたくてたまらない……俺のせいだ」
もう一度、唇に触れるだけのキスを落とすと、緒方はヒカルから離れ、注文を取ってきた千景と何事も無かったように話していた。 ヒカルだけが、椅子の上に取り残される。 いつのまにか全身が熱くなっていて、さっきまでの外の寒さを忘れてしまっていることに気がついた。
「……ズルイよ」
ぼそり、とした呟きだったのに。 それでも聞えたのか、緒方はくつり、と微笑ってみせた。
ヒカルに見えたのは、白い大きな背中だけ。
文句のひとつやふたつ言ってやろうかと思っていると、小野が店内に顔を見せた。 「…あれ?進藤くん。来てたんだ」 「は〜い。臨時のバイト君がさぼらないようにちゃんと監視してるからね〜」 冗談めかして微笑むと、小野はくすりと笑った。 「そうだね。緒方さんのおかげで大助かりだよ。予約のケーキはすぐ用意できるけど…進藤くん、時間はある?」 「うん。へーき」 「じゃあ、お詫びにエージ君の焼いたアップルパイをごちそうするよ。温めてくるから、ちょっと待ってて」 小野はそう言うと厨房に引き返しかけたが、立ち止まる。
「コーヒーは、そこの有能なバイトさんに煎れてもらってね。…きっと、一番美味しく煎れてくれるよ」 「は〜い」 小野はにこやかに厨房へと消えてゆく。
…ふと、気がつくと。 カウンターの隅に座るヒカルの目の前で、一人のギャルソンが微笑んでいた。
「お客様、ご注文は?」
狭いカウンターの中。 ふたりだけの空間の中で。
フロアの中に、空いている席はあるけれど、ヒカルにとっては、一番の特等席。 …彼も、そうなのだろうか。 ……自分にそばにいてほしくて、此処に呼んでくれたのだろうか?
ヒカルは、自分だけのギャルソンに、にっこりと微笑んだ。
「コーヒー!とびっきり美味しいの♪」
緒方も微笑んで、うやうやしくお辞儀をした。
「承りました」
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