petit aqua vita
日頃のつぶやきやら、たまに小ネタやら…

2004年12月29日(水) 『初春』(女の子ヒカル。マイフェアシリーズ)

大掃除もようやく終わり、一息ついた12月30日の朝。
進藤家の家事をとりしきる主婦――進藤美津子は、ほっとしてこたつでお茶を飲んでいた。
目の前に広げられたのは色とりどりの新聞広告。
年越し蕎麦やおせちやお雑煮の材料など、買わなければならないものはたくさんある。しかし買えば良いというものではない。「より安く、より良いものを」…これこそが大きな命題だ。
広告を見比べながら、赤ペンでお目当ての品物をチェックしている時、ひょこ、と彼女の娘が顔をのぞかせた。

「かーさん」
「なに?」

顔も上げずに応じると、娘はそのまま何の反応も返さない。
珍しいこともあったものだと美津子は目をぱちぱちさせた。

「どうしたの」

顔を上げてみると、そこには、くたびれた着古しのジャージに、毛羽立ったトレーナー。裸足でぺたぺたと歩くさまに頭痛がしないでもないが、今更のことだ。思春期真っ只中であろうというのに、ヒカルは女の子らしいものに全く興味を示す様子もない。
…唯一、おしゃれらしいものといえば、つい最近好んでつけている、朱色の丸い石がついたシンプルなピンだけ。
それでも、進歩と言えるのは、喜ぶべきか、嘆くべきか………。

「……あのさ、かーさん」
娘の声に美津子は思考を中断させた。

「なに?」

言いづらそうにためらうヒカルの様子は、本当に珍しい。
いつも、元気だけはピカイチで、あっけらかんと明るい性格は、女の子らしくないというマイナスを引いても立派な長所なのに。
ほしいものがあるならはっきりきっぱり言うし、嫌なものも以下同文。おかげで、クリスマスに何が欲しいかなんて筒抜けで、何を買おうかなんて迷うことはまずなかった。……そんなヒカルが。

(ひょっとして、何か悩み事なのかしら……)

…しかし、そんなに構えていたら話しにくいかと考え、気づかないふりをしてみる。

「どこか出かけるの?…残念ねぇ…今日の買い物一緒について来て荷物持ちしてくれたら、栗きんとん多めに作ってあげるのに…」

「ん…栗きんとんはたくさん作ってほしいけどさ…そうじゃなくて…」

ヒカルはぱりぱり、と頭をかいた。どう言って良いのか分からない、といった風情で。
そんな無造作な動作も、どこかおかしくて母はくすくすと笑いをこぼす。

「おかしな子ねぇ。言わなきゃ、何なのか分からないわよ」
「…だよね」

ヒカルも困ったように……というか、照れている様な表情で、微笑ってみせる。



「あのさ、かーさん」

「なに?」

「初詣に、着物着て行きたいんだけど……」

「……は?」

思考停止。

「……だから、着物」

「…………」(←停止持続中)

なおもかたまる母をよそに、ヒカルは言葉を続ける。

「知り合いの人が着せてくれるって言うんだ。持ってないって言ったら、お母さんの何か借りてきたらいいよって……聞いてる?」

「…誰の着物って?」

「聞いてないじゃん………」

ヤレヤレ、とため息をつくと、ヒカルはこたつに手をついて、目を丸くして赤ペンを握ったままかたまっている母親に身を乗り出した。


「あのねー!初詣行きたいの!着物着て!!」


「……誰が?」

ころころ、と赤ペンが転がる。
ヒカルはにっこりと微笑んだ。


「オレ」


「……………はい?」




(着物?!ヒカルが?!……いやでもこの子には着物は作ってないし…それもこれも宮参り以来頑として着ようとしなかったこの子のせいでもあるんだけど…ワンピースですらいやがるんだもの。…ああ、私の着物を借りたいと言っていたわね。…でもどこにしまったかしら。私もそういえばずいぶん着てないもの。振袖なんてとっくに袖を切って留袖に染め直してしまったし…初詣といえば、正装よね?…いやでも違うのかしら。それに着付けは知り合いの人って…今から美容院なんて予約できないし、それは助かるけれどやっぱりお礼は包むべきかしら、…というか誰なのその知り合いって?ああ、でもでも、せっかくヒカルが着物着たいなんて言ってくれたんだから、それは喜ばなくちゃ!…履物あったかしら?)



せわしい年の瀬。
美津子の頭の中は、これでもかとばかりに大嵐な状態だった。


そうした張本人は、こたつでぬくぬくと温まり、母親がパニックから脱出するまでのんびりみかんを頬張っていたのである。


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平 知嗣 [HOMEPAGE]

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