2005年02月07日(月) |
『初春』7(マイフェアシリーズ。種明かし) |
神社でお参りを済ませると、参拝者にもれなく渡される福引券を貰って福引をして、神社を手伝うおばさんに薦められるまま、ヒカルたちは甘酒のふるまいを受けた。甘いものが苦手な緒方は断ったのだが、少しだけにしてあげる、とおばちゃんに強引に押しきられ、甘酒が半分ほど入った湯のみを渡されてしまった。 やれやれとため息をつく緒方にくすくすと笑いながら、ヒカルと緒方はテントの中に用意された簡易式のベンチが開いたので腰掛ける。
「…それで……」 「ん?」
ヒカルは湯呑みを両手で持ち、手を温めながら首をかしげた。黄金色の髪が揺れて、朱色の髪飾りの玉がひとつ隠れる。 「珍しく着物を着たのも…あの子のためか?」 緒方の問いに、ヒカルはえへへ、と笑った。 「ご名答〜」
――中学の時に囲碁部に顔を出していた、ちょっと怖い感じの将棋部の主将。 あかりが進学した高校に、彼がいたのを知ったのは、本当に偶然。 彼は学校の将棋部には所属しておらず、ちょくちょく、平日には対局の為休んでいた。…中学の頃の、ヒカルのように。 前を、さらに上を目指す彼の瞳は、とてもまっすぐで。力強くて。…あんなに身近なひとだったけれど、今はもう、遠いひとのような気がしていた。 …そうしたら、彼はひょっこりと顔を出したのだ。 囲碁部の同好会を作ろうと、ポスターを出して、誰か来てくれないかと不安と期待で落ち着かなくて、マグネットの碁盤で詰碁をぽつぽつと並べていた時に。 「囲碁部を立ち上げようなんて物好きはどいつだ?」 …と。 それが後輩のあかりだと知って、驚いていたが、彼はヒマなら相手してやる、と五目ほどあかりに石を置かせて打ってくれた。 ――その日、同好会入会希望者は一人も現れなかったけれど。 彼は最後まで一局打ち切ってくれて、席を立った。慌ててお礼を言うと、彼は苦笑しながら、言ったのだ。 「中学ん時よりは、ちっと上達したな」 着崩した制服、踵を踏んだままのシューズ。…そして、相変わらず持っていた、「王将」の扇子。 「またな」…と言って彼が去っていった時、ものすごく、嬉しくなってしまったのだと、あかりは微笑んだ。
「んで…加賀は今度の三月で卒業するんだよ。三学期入ったら、高校の三年生なんてめったに学校に来なくなるらしくてさ。…だから、正月に、会いたかったんだって」 ヒカルはふう、と白い湯気を吹くと、甘酒をひとくち口にした。 「それで、毎年アイツがこの神社に初詣に来ることが分かって、…まぁ、それだけなら普通に会いに行けば良いんだけどさ」 あかりの両親がはりきって彼女のために仕立ててもらっていた振袖が完成したのだ。初詣に行くなら是非着て行きなさい、髪もきちんとして、記念写真も撮らなくては……。彼女の家は大はしゃぎだった。 ただでさえ緊張するのに、その上振袖という晴れ姿。思わずあかりは幼馴染みであるヒカルに泣きついたのだ。どうか、一緒に着物を着て行って欲しい、と。
「…あんまりに真剣なんで、思わず頷いちゃったけど、オレ着物のことなんてさっぱりだから。それで美登里さんに相談したんだ」 甘酒を飲んだあと、少女はふ、とひと息をつく。その吐息が、ゆらゆらと揺れる湯気を一瞬かき消した。
「ちょうど彼と行き会えたみたいだが…彼が来る時間まで、分かっていたのか?」 緒方は湯呑みを手にしたまま、その中身を飲もうともしない。ただ掌に持って、手をあたためているだけだ。 ヒカルは彼の言葉にかぶりを振った。 「まさか。あれは本当に偶然。…第一、本当に会えるかどうかも分からなかったんだ。…そりゃ、加賀の家はこの近くらしいけど」
――今年も同じ神社に彼が初詣に来るなんて、そんな保障はどこにもない。 ――ただ、この辺に家があるというだけの、たよりない確証。
――それでも?
――それでも。
会いたかった……彼に。 見てほしかった……着物姿。
「…なんか……すごいよね」 「?」 「…んー、うまく言えないけど。なんか、さ。すっげ会える可能性低いのに、それでも行動しちゃえるのがさ…。うん。あかりって、すごいと思う」 オレには絶対できないなぁ。ヒカルは無邪気に笑った。 その表情に、緒方はひっそりと苦笑する。 ――まだ、「恋」を知らぬが故の、明るい微笑みに。
その微笑みを守りたい ―――それが真実。 その微笑を消して、自分だけを考えて悩み苦しませたい。 ―――それも、真実。
ゆっくりと開く蕾。自分はそれを、待つことができるのだろうか。 それとも………。
「ねー緒方さん!」 ヒカルの声に、緒方は我に返った。 「…なんだ」 「さっき福引きひいただろ!何もらったの?オレのはねー、ホラ、石がついた和風のストラップ」 それは「根付」という物じゃなかろうかと考えながら、緒方は先程もらった福引きの景品の小さな袋を懐から出してヒカルに渡した。 「俺も同じだ。…色違いみたいだな」 ヒカルは早速袋を覗き込んで、丸い小さな石が結わえられた根付を取り出す。 「…あ、いいな〜。こっちの色のがオレ好きかも」 彼女がかざして見るのは、木の実の色の、あたたかい色の石。朱色の紐の先に揺れるそれを、ヒカルはゆらゆらと揺らした。 「オレの、ちょっとくすんだ色なんだよね〜」 ヒカルは自分が貰ったそれを緒方の掌に乗せた。 緒方の掌に乗ったそれは、白色の紐に結ばれた、灰色に煙る水晶のような半透明の石。…よく見れば、その中心のところには、薄く翠の色が見える。
誰かの色だ。
「…………………」
緒方は、その石を握り締めた。
「進藤、その石が気に入ったならやるぞ」 「ええっ、いいの?」 目をぱちくりさせるヒカルに、緒方は笑った。 「…ああ。その代わり、俺はこっちを貰う」 「いいけど……いいの?そんなヘンな色なのに」
ヒカルの答えに、緒方はくつりと笑った。 ――ヘンな色?冗談ではない。今ここに、ふたつも同じ色が向けられているというのに。きっと、目の前の少女は気づきもしないだろうけれど。 我ながら少女趣味な思考に笑いたくなるが、それでも、この石は自分の石にしたかった。
「コレが良いんだ」 「ふぅん?」
不思議そうに首をかしげるヒカルは、甘酒を全て飲んでしまうと、ひょい、と立ち上がる。 そして緒方の目の前に、先程の木の実色の石をぶら下げた。 「ああ、やっぱり」 ヒカルはにっこりと笑う。
「この石、緒方さんの目と同じ色だね!」
一瞬、緒方は息をのむ。 そして、ふわりと笑った。
「そうか」
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