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自分に自信がない。 いつもだ…昔からだ。 だから好意を向けられると困惑してしまう。嬉しいけどね。 他人は嫌いじゃないし男女構わず触れてみたいけれど、いざ好意、或いは性的な視線を向けられると怖くなる。 分不相応な気がして、申し訳なくなる。 自分は他人の好意や性的な視線や衝動に値する人間だろうか。 怖いより不思議。よりによってなんで? 劣等感がある。 ん?誰に…?比較対照は誰だろう?世を闊歩する「歳相応」なかわいこちゃんたちかな?
昨日28歳になった。 少し前まで、「自分は『歳相応』だろうか」、なんて考えていた。 いまはどうでもいい。 絶対評価も相対評価もいらない。どうでもいいや。 ひとつわかったのは、歳をひとつ重ねてみたものの、相変わらず未熟でばかなこどもだということだ。とりあえず自分のものさしでね。 これは年齢云々じゃなくて、一生治らない持って生まれた性質なのかも知れない。それともビビってばかりいるから経験値が足りないのかな。そうかな。 先日、ここ数年の日記を読み返した。反吐が出そうだった。いっそのこと後腐れなく消そうかとも思った。踏みとどまったのは、3年前一度消してから後悔したからだ。当時考えていたことなんて、もうよくわからない。健忘気味だしな〜。 状況はいつも変わる。実際半年前少々変わったし。主観ではよくわからないけど、あまり成長している気がしない。 それでも見据えなきゃだめだ。これは成長の記録だ。焦らず緩やかでも成長したい。そう思って、たまには読み返そう。 私は相変わらずばかなこどもで、自分の感情さえ捕まえられなくて。 つかみかけたとたん、それがホンモノか、なんて疑って踏み留まる。 怖くなって、逃げ腰になる。確信が持てるまで、なんて保留してみて。 確信?確信なんてあるのかな? とりあえず、ギュワーってやつ、あれが生まれるか自分の細胞を探ってみるけれど。いろいろがんばってみるけれど。 まあ、今年一年、精々日々精進するとしますか。 走り出す細胞が見つかったら…、いや、見つけたいなあ。 他人の力じゃなく、自分の力で自分のなかから。
メールやプレゼント、ありがとうございました。 こういうのはいくつになっても嬉しいものです。
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2005年08月04日(木)
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