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■ 動物農場/ジョージ・オーウェル
「未成年のときに読んで閃光をおぼえた書物を成人に達してから読み返して枯木しか発見できないことがある。その逆もまたあって、未成年のときに道端の石ころしか感じられなかったのが成人になってかたとつぜんそそりたちのしかかってくるような巨岩になっているのを発見することもある。・・・書物も人間と同じようにたえまなく興亡、明滅しているのである」
『動物農場』の巻末にある開高健の「24金の率直─オーウェル瞥見」の出だしである。オーウェルの『動物農場』は私にとって、まさにこの通りの本だった。昔読んだときには、道ばたの石ころだったのだ。開高氏もまた、30代になってオーウェルに目覚めたという。
オーウェルはもともと新聞記者であったため、ルポライターとしての能力に優れていた。そのオーウェルの特徴は、感じたまま、見たままを、類のない率直さで描いたこと。そしてこの『動物農場』においては、「ユーモアと洞察力と観察眼が手を携えあって歩んでいって達することのできたまれな秀作」なのである。
私が読んだ本には、『動物農場』の他、『象を射つ』、『絞首刑』、『貧しいものの最期』の3つの短編が載っているが、この3つはどれも、評論集の中に収められているもので、この本ではそれをあえて短編として紹介している。
しかしこの3作を読むと、オーウェルがいかに鋭い観察眼を持っていたか、いかにシニカルなユーモアを持っていたかがわかるし、それが政治的・思想的に大きな意味を持つ『動物農場』に、どのように反映されたかがわかる。
内容としては、痛烈なスターリン独裁下のソビエトに対する攻撃を寓話化したものだが、そちらの感想は、私がわざわざここで書かなくとも、これまでにさんざん述べられてきた感想と、ほとんど同一のものであると思う。
私がこの本を読んで一番感激したことは、こういった感覚を率直に、またユーモアをもって語れる作家、しかもストーリーも巧妙で、文章もすこぶる上手い作家に、こうして再びめぐり合えたことだ。私にとって道ばたの石ころにすぎなかった作家が、今、私の大きな尊敬の的になり、こんな文章を書いてみたいという気持ちを持たせるほどになったことである。
もとはといえば、創刊当時から出たものはほとんど、義務のように読んでいるブックプラスのラインナップである、ミッシェル・フェイバーの『アンダー・ザ・スキン』を読んで、オーウェルの『動物農場』に似ているかな?と思ったのがきっかけで、再び読むことにしたのだ。
ここに『アンダー・ザ・スキン』がなかったなら、そもそもブックプラスがなかったなら・・・、そう思うと、これからもブックプラスはチェックしなくてはならないシリーズである。もっとも、『アンダー・ザ・スキン』と『動物農場』は似ても似つかないものであったけれども。
2002年01月25日(金)
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