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■ 象を撃つ─オーウェル評論集�機織献隋璽検Ε�ーウェル

つい先日から「尊敬する」作家のひとりになったオーウェルの評論集。
その尊敬する作家の評論の書評を書くなんて、おこがましくてとてもできないので、気になった文章を書いておくことにする。率直な意見を述べるとして高い評価をされているオーウェルならではの文章だ。


「彼は三十五歳なのだが、五十歳に見える。頭ははげ、静脈瘤にかかり、眼鏡もかけている。あるいは、ひとつしかない眼鏡がなくなったままで、いまはかけていないかもしれない。普通の状態ならば栄養不良にかかっているだろうが、最近ついていたとすれば、二日酔いにかかっているだろう。いま、午前十一時半で、予定では二時間前に仕事にかかっていないといけなかった。だが、本気で始める努力をしていたとしても、ほとんどひっきりなしに鳴る電話のベルや、赤ん坊の泣き声や、外の通りの電気ドリルの轟音や、階段を上り下りする借金取りのよく響く靴音のためにやる気をそらされていただろう。いまさっき入った邪魔はこの日の二度目の郵便配達の到着だった。回状が二通、それに赤で印刷された所得税徴収税令書が届いたのだ。
言うまでもなく、この人物はもの書きである。詩人かもしれないし、小説家かもしれない。また映画の脚本家かもしれないし、ラジオの台本作家かもしれない。なにしろ分泌業者というのはいずれも似たり寄ったりだからだ。だがここでは書評家だということにしておこう。・・・

私は誇張しているように見えるのだろうか。どんな書評家でもいいのだが──たとえば年間に最低百冊の書評を書く人なら誰でもいい──その人の習慣や特徴が私の描写したとおりであることを正直言って否定できるかどうか、聞いてみたい。どのみち、もの書きというのは多かれ少なかれこうした種類の人間なのだが、長期にわたってみさかいなく書評を書き続けることは、他に類を見ないほどの、報われず、いらだたしい、へとへとになる仕事である。駄作をほめなければならないだけでなく、いかなる感情も自然にわいてこないような本に対して、いつも無理やり反応を作り出さなければならないのだ。・・・毎年出される何千冊かの新刊書のうち、喜んで書評を書きたいと思うような本がたぶん五十冊や百冊はあるだろう。一流の書評家ならそのうちの十冊か二十冊は担当できるかもしれない。まあ、たいていは二、三冊だろう。彼のその他の仕事は、どんなに良心的にそれをほめたりけなしたりしようとも、本質的にいんちきなものである。彼はおのれの不滅の精神(スピリット)というお神酒を、一度に半パイントずつドブに流してしまっているのだ。」

──『一書評家の告白』ジョージ・オーウェル


元新聞記者であるオーウェルの評論なので、政治的なこと、社会的なことが随所にあるのだが、「なぜ書くか」とか「パブリックスクールでの生活」など、自伝的な要素も含まれていて、そういった意味では興味を持って読めた。文章をじっくりと味わって読んだので、時間がかかってしまったが、それなりに得るものは多かったと思う。

「自分を軽蔑することはできようとも、自分をきらいになることはできない」
──『あの楽しかりし日々』ジョージ・オーウェル


2002年02月19日(火)
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