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■ 不思議な少年/マーク・トウェイン
この作品は、トウェインの晩年の作で未完だったもの。出版されたのは死後だが、トウェインはこの作品に大変力を入れており、3種類の原稿があった。そのうちの1つを訳したもので、これに関しては様々な批評がある。というのも、11章のうち、トウェインが実際に書いたのは10章までで、11章は出版に際して編集者によって付け加えられたものだからだ。
<内容> 16世紀のオーストリアの小村に、ある日忽然と美少年が現れた。名をサタンといった。村の3人の少年は、彼の巧みな語り口にのせられて不思議な世界へ入り込む・・・。アメリカの楽天主義を代表する作家だといわれる作者が、人間不信とペシミズムに陥りながらも、それをのりこえようと苦闘した晩年の傑作。(表紙より)
物語も不思議で面白いが、サタン(実は天使で、悪魔のサタンは伯父にあたる)が語る人間の愚かさに共鳴する。トウェインの反戦思想が色濃く出ていて、しかも的を射ている。そして、人間の運命はあらかじめ決まっているのだが、サタンはそれを操ることができるため、少年たちに頼まれて運命を変えてやる。だが、果たしてそれが良かったのか悪かったのか・・・。これもまた運命に翻弄される人間の愚かさだ。
最後はいわゆる夢オチである。「あの世なんて、そんなものはないよ・・・だって、人生そのものが単なる幻じゃないかね。夢だよ、ただの」というわけだ。そしてこの部分が後から付け足された部分なのだ。この夢オチはけして嫌ではなかったが、果たしてトウェインが生きていたら、結末を夢で終わらせただろうか?それは大きな疑問だ。
編者たちによる改変のもう一つの目立つ点は、「物語を渋滞させるバーレスク(お道化)の部分を排除した」ことであるらしい。これについては、個人的には大変賛成だ。お道化はうまくいけばユーモアとして楽しめるが、そうでない場合はうんざりだからだ。トウェインのお道化がどの程度だったかはわからないが、お道化が過ぎれば、あっても読み飛ばしたことだろう。
しかし人間の愚かさを再認識するため、この物語はぜひたくさんの人に読んでほしいと思う。幸せと不幸は表裏一体で、たった1時間の幸福を得るために、何十年も不幸に甘んじるということもある。また死ぬことはけして不幸ではない。苦しみながら生き永らえるよりは、早い寿命を迎えて死んだほうが、幸せな場合もあるのだ。
「ここに描かれた人間の姿は、たしかにみじめで、ほとんど絶望的ともいえる暗澹たるものであるとしても、それを包む縹渺(ひょうびょう)たる空想と、次々と打ち出される奇想とは、不思議とこの作品の暗さを救っている」─訳者・中野好夫
「晩年のマーク・トウェインがペシミズムに陥ったのは事実であろう。しかし彼はそれを乗り越えることにも全力を注いでいた」─解説・亀井俊介
そして次の文章に、思わずブッシュや小泉や、世界中の身勝手な戦争指導者を思い浮かべ、もっともだと深く頷いた次第。
「戦争を煽るやつなんてのに、正しい人間、立派な人間なんてのは、いまだかつて一人としていなかった。ぼくは百万年後だって見通せるが、この原則の外れるなんてことはまずあるまいね」─サタン(不思議な少年44号)
2002年05月28日(火)
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