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 不運な女/リチャード・ブローティガン

『不運な女』/リチャード・ブローティガン (著), 藤本 和子 (翻訳)
単行本: 155 p ; サイズ(cm): 19 x 13
出版社: 新潮社 ; ISBN: 4105127020 ; (2005/09/29)

出版社より
旅となれば、以前は女たちが、上手に荷物をつめてくれたものだった――。ハワイ、カリフォルニア、カナダ、アラスカ……『アメリカの鱒釣り』から20年後、死んだ女友だちの悲劇に寄り添いつつ、47歳の孤独な男が、過ぎゆく時間をみつめる旅をする。ブローティガンの自殺後、ひとり娘が遺品のなかから発見した最後の小説。


リチャード・ブローティガンの『不運な女』を読了。何だかよくわからなくて、途中でやめたいなあと思いつつ、我慢して読む。ブローティガンは素晴らしいと言われれば、はあ、そうなんですかと思うしかないのだが、やっぱりよくわからない。

たまたま今日の朝日新聞に、いしいしんじの『不運な女』評が載っていたので、引用してみる。

優れた小説の中でも、時間は伸び縮みし、断ち切られ、裏返しにされる。リチャード・ブローティガンの『不運な女』は日記の体裁ではじまり、しかし時間の反転や跳躍、どうどう巡り、突然の変調、断続を重ね、読者はきりもみのように、別の時間に巻き込まれていく。音楽には「あらすじ」がなく、また、「理解する」必要もない。イントロから最後まで耳を澄ませ、その全体を受け入れるだけだ。

というわけで、理解する必要はないとのことだから、理解できなくてもいいんだと思ったけれど、そうなると後は感性とか好みの問題になってくる。

もともとブローティガンは、私には危うい作家だった。 『西瓜糖の日々』 を読んだときには、それはそれで良かったとは思ったものの、あれも一歩間違えば、全然自分には合わない世界となっていただろう。綱渡りのような危うさで、かろうじて共通する感性を見つけ出していたのだと思う。

今回の文章は、これは全く感性の合わないもので、実は気持ちが悪いとさえ思ってしまった。日記形式ということだから、その日、その時に作家が思ったことを書いているのだろうが、ヴァージニア・ウルフの意識の流れみたいな、精神的な危なささえ感じた。実際にこの後、ブローティガンもピストル自殺をしてしまうのだが。

そもそも詩とかがあまり好きではないので、詩的な小説はあまり好まないのだが、こうしたストーリーもなく、話の結末もないものというのは、どうも性に合わないようだ。いしいしんじの言うように、「受け入れるだけ」しかできないのだが、感性が違えば、それさえも苦痛なのだ。

2005年11月06日(日)
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