(編集中、字数削減中、ダイエット中、整理中、推敲中)
大学に入ってから、携帯電話やEメールで連絡をする機会が多くなりました。
携帯は、互いの時間や場所を選ばずに連絡し合える、非常に便利な道具です。
しかし携帯を利用し続け、友人同士の話合いにも活用していくうちに、
携帯特有の新しい誤解、不和、心労が増えてきたように思います。
人間の社会は普通、「多対多」のコミュニケーションで形成されています。
一方、携帯は完全に「個対個」のプライベートな関係だけを発生させる道具です。
携帯によるコミュニケーションは、常に特殊なケースである、
このことを、私たちは十分に理解していないのではないでしょうか。
・秘密を生む
携帯を利用して連絡を行うと、その内容は自然と秘密性を持ちます。
秘密性は、不安や疑いにつながる要素であり、扱いには注意が必要です。
「私にだけ連絡がこない」、「誰が言い始めたのかわからない」、
「こちらで話し合った内容がそちらには伝わっていない」など、
秘密性がひきおこす不和は、私が経験したものだけでも様々に存在します。
強力なプライベート性と情報伝達の素早さが重なった結果、
携帯は非常に秘密を生みやすい道具となっているのです。
・錯覚を生む
「個対個」のコミュニケーションツールである携帯は、
その向こうにいる「誰か」を常に強力にイメージさせる力を持っています。
たとえば、誰かに携帯メールを送った後、意に反して長い間返信が無いと、
「あれ、忙しいのかな」、「届いてないのかな」、「何か怒らせたかな」、など、
様々な不安を覚えることがあります。
これらの感情は全て、「相手がいるのに反応が無い」という、
不気味な状況に陥ったような錯覚が生じさせたものです。
携帯は、常に連絡相手がはっきりとわかっているため、
実際に対峙していない相手さえ、そこにいるような錯覚を私たちに与えます。
(編集中)
携帯電話を利用したコミュニケーションは、ほぼ2人きりで行われます。
「2」は、割り切れる数字です。
お互いの意見が一致した場合、それは見事な100%の合致となります。
逆にお互いの意見が対立すれば、それはたちまち100%の敵対となります。
意見の熱愛状態や敵対状態を、簡単に作りだしてしまうのです。
新たな提案として第三者の意見を聞いても、
固対個の連絡手段を選ぶなら、事態はあまり変わりません。
その第三者は、一方からの連絡を受け、その意見に賛成か、反対をします。
2極化が更に強化されるだけで、強力な新風とはなりにくいのです。
携帯電話を利用した話し合いが長引き、
泥沼化してゆく様相を目の当たりにするたび、
私は数名で顔を合わせて談話することの大切さを感じます。
数名が意見を出し合えば、それは極ではなく、多様なカラーとなって現れます。
2極化した時ほど意固地にならず、素直に良い部分を活かし合えることが多いようです。
中国では、結婚や約束などの儀式に、「3」という割り切れない数を重用します。
また古い湯飲みや椅子の足は3本です。バランスが良く、倒れないためです。
「わりきれない」という言葉には、「釈然としない」という意味がありますが、
「わりきれない」ことの自然さ、バランスの良さを良く理解して、
携帯電話の極端さに戸惑うことなく、バランス良く暮らしていきたいものです。
(上記文章は2004年2月18日現在、推敲中)