1918年7月、富山県の主婦たちが花屋に花束の安売りを要求。
そして翌1919年7月、ドイツでワイマール憲法が成立した。
第一条で花束の権利が明記された画期的内容で、花束憲法と呼ばれた。
しかしヒトラーが出現し、効力は短期間で失われることになる。
(→参考:SMAP)
今日は、朝っぱらから起床しました。
そしてスーツを着て出かけましたとさ。
事後、学校へ。
今日は先輩同級生(?)のスティーヴ大先生をはじめ、
お世話になった先輩方の卒業式でした。
すち用花束などを用意して待ちました。
「今卒業式が終わった」という連絡が来たら、
門へ行って渡そうと思っていました。
それまでは新入生歓迎の準備をしていよう、と、
後輩八尋君と一緒に買い物に行ったりしてました。
っと、部室階のエレベーターホールでうっかりすち発見。
個人的には、門から出てきて欲しかったんだが。
門で渡したかったんですよ。卒業式は門ですよ。
門で花を受け取って握手ですよ。基本的見解。
しかしまあ、無事花束も渡すことが出来ました。
ピンクのガーベラとバラを、季節の葉物(名前不明)や、
白い花(かすみ草ではない。名前失念)で飾った、
ふかふかの小ぶりな花束でした。
(ジャバーウォック通信・25日の記事より転載、ロイター)
花屋は忙しそうでした。
ヒペリカムとかトルコキキョウとか、
小菊とかベラドンナとかいろいろありました。
次の祝い事では、白&緑とか、青&緑の花束を買ってみたい。
当然、次の祝い事までに、きれいに忘れている予定。
中高生の頃は、そんなにお金もなかったし、
部活の先輩全員に渡さなくてはならなかったので、
花一本に飾りの草をあしらったような花束ばかりでした。
小ぶりなほうが持ち帰りやすいし。
とか多少言い訳。
当然、我が美術部が校内で最もハイセンスであることが、
明確に立証されてしまう素晴らしいイベントでした。
言いすぎ。
……美術部の花束が「どんなもんやねん」と値踏みされる、
大変プレッシャーのかかるイベントでした。
さて、そんな卒業式当日に、
こっそり順調に作業を進めていた後輩八尋君の立て看板が完成。
なんていうか、この日記に後輩が出てくることは、
もう時代の流れ的に避けられないらしい。
いや、別に書きたくないとかそういうことじゃなくて、
なんていうかまあ、時の流れを感じるってことですよ。
言い訳しすぎ。
もう次の新入生とかいよいよ年下すぎてもうどうしよう。
言葉が通じなかったらどうしよう。
ジェネレーション・ディスコミュニケーション。
でもまあもう4年生だし、
時々キレたりしながら気楽に過ごしますよ(謎)。
それより作品や学業をガンバります。
他人の安否より自分の内定、って感じのこの時期どうでしょう。
いいともー!(欺瞞)