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■ うーん、反発を買いそうな。>新大久保駅事件
新大久保駅での事件は、詳細を説明するまでもないだろう。 酔っ払ってホームから転落した人を助けようとして、日本人である関根さんというカメラマンと、李秀賢さんという韓国人留学生とがホームに下りたものの、結果は全員死亡という悲惨な事故だった。
李秀賢さんのHPを日本語訳で読みに行った。 アクセスは40万を超えていて、BBSにはとにかく勇気をたたえる言葉があふれていた。 彼はサイトの自己紹介で、将来を大統領と書いていて、それがまた、正義感の強さを表しているような気がした。
母はこのニュースが流れるたび、やりきれないといった表情をする。 関根さんのお母さんがテレビで、「せめて助けられたならいいんですけど…ちょっと思慮が足りなかったんじゃないかと思います」というようなコメントをしていたからだ。 それが本音だよねえ、とわが母は言う。 英雄にならなくても、卑怯者でも、身内はきっと生きていてくれることを望むだろうから。 私もそう思う。 志しなんてものは、残るけど…たしかに残るけど、それでももう本人ができることはないんだから。
渋谷区だったっけ。 公共工事の見直しで住民側と行政が対立していて。 住民側の代表が、憤死ともいえる、抗議の自殺をした。 だけど、その遺書さえはじめは受け取ってもらえなくて。 息子さんが怒りを押し隠してどうにか受け取らせたけれども、 そんなのどれだけの意味があるだろうって私は思ってしまった。
ただだらだらと生きていても、確かにどれだけの意味があるだろうと考える。 それでも、死んだからってどれだけの意味があるだろう。 いまだによくわからないから、 とりあえず、生きていて考えるわけ。
新大久保駅の事件の後、現場に、ふたりとは知り合いでもないという若い女の子が花束を置きに来て、あまりに勇気のある行動に涙が止まらないといって、ザーザー泣いている姿を同情的なカメラが映していた。
ごめん。 あたしが素直じゃないんでしょう。 極悪人なのかもしれないね。 でも、あたしにとっては、あなたがそこまで涙する理由が、正直よくわからない。 きっと優しい人なんだろうねえ。 じゃあ、あたしは優しくないんだろうな。
それよりもあたしは、李秀賢さんの恋人だったという女性のことなんかをふと想う。死んで英雄になった恋人より、生きて罪悪感に苦しむ恋人のほうが、きっとずっと嬉しかったんじゃないのかなあ。 ああでも。 簡単に他人を見殺しにするような恋人を愛せるかというと、またそれも違うかも。 もしそこに、罪悪感の欠片もない人なら、あたしだってきっとすうっと心が冷めるだろう。 でも苦しんだ結果、生きることを選んだなら、卑怯者でいい。 なんて思ってみたり。
李秀賢さんの報道がとりわけ大きくされるのは、日本人の若者にはない正義感や儒教的精神がまだある韓国の若者に対する日本人の敬畏心のあらわれだというネットでの報道を読んだ。
きっと日本人の若者のなかにも、自虐にも似たそういう引け目みたいな気持ちがあるから、さっきの女の子みたいな反応になるのかな。 老人が特にこのニュースを好むのは、韓国に対する罪悪感とか、そういう面もきっとあるだろう。
でもあたしは飛び込みません。 見殺しには出来ないという気持ちは、わかるけれど。 ずっと一生その人のことを助けられなかったという後悔を引きずっていくだろうけど、それでもしょうがない。 とりあえず、博愛主義なんてスバラシイ精神は持ち合わせてないから。 人間のなかには、赤の他人と、知り合いと、大切な人と、唯一無二の人と。 そんなふうに、喪いたくない順番がある程度は決まってる気がするから。 ただの酔っ払いのおじさんでも助けますってあたしは言えない。
このあいだ、1限から試験があって切羽つまってるとき、途中で明らかに道を探している目の不自由な人を見かけて…一瞬迷って立ち止まり、普段ならきっと声をかけるなあって思ったけど、結局そのときは無視した。 瞬時に天秤にかけたんだ。 自分の卒業資格と、その人と。 結果→自分が大事。
………いいや、それでも。
2001年02月01日(木)
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