unsteady diary
riko



 広告の好き嫌い

自分がなにを好きで、なにを好きじゃないのか。
ちいさなことでも、実はけっこう本質をあらわしてる気がするのが、
私にとっては、広告の好き嫌い。

この広告はなんかすごくムカっとくる、とか。
逆になごむなあとか。
巧すぎる…とうなるけど、でもなんかはめられてる気がするとか。
テレビをつけっぱなしにしてたり、
ラジオをなんとなく流していると、いろんなことを考える。
(怠惰な生活)

たとえば。
嫌いな広告は、ちょっと前のプレステの一連のTVCM。
すべて、とは言わないが、ブラックすぎ。
痛い気持ちになる。
それが目的なのだろうから私がとやかく言うことではないけど、
ただ好き嫌いという意味でなら、あまり見たくはない。
人を痛めつけて、ワラウ、ということが嫌いな自分を自覚させられる。
別に偽善者ぶってるつもりはないんだけど、
嫌いなんだからしかたがない。


巧すぎるけどはめられてる気がする広告。
もろ、最近のユニクロのTVCM。
お習字書くやつ、あるでしょ?
ジーンズ着て、筆もって、半紙ととのえて、
(この間ずっと沈黙→やけに注目させられる)
おもむろになにか書き始める
その瞬間に切り替わる。
あの…シリーズで共通してる画面、
「ユニクロのジーンズ2900円(で合ってたっけ?)」というやつに。
結果、お習字でなにを書いたのか、わからないまま。(笑)

最初見たときはすっかり思惑にはめられた。
ああもう、しっかり注目しちゃったじゃないか。
ファーストリテイリングは、ブランド戦略があまりに上手すぎるんだよねえ。
6年前にはすでに近所にユニクロがあって、
でもほとんど注目していなかった。
モノも悪かったし、デザインがやばかった。
そしてなにより、安さばかりが全面に出ていて、
ブランドイメージがまったくできてなかったんだろう。
でもいまは。
うちにあのフリースがいったい何枚あるんだ?
母がすっかりはめられて、冬のホームウェアとして定着しとるやん。
ああ、怖いこと。
リテールビジネスはお客様とのやりとりが大切っていうが、
やっぱりそれよりも、マスコミを通した広報活動の影響のほうが
大きいことは言うまでもない。
現場にいる“ひとり”の力ってなんだろう、と考えてしまうなあ。


好きな広告についてのサイトのひとつ。
誰もが知ってる(?)AC(公共広告機構)のHP。
ここの広告には好きな作品がいっぱいあって。

たとえば。ラジオCM。
これはラジオCMしか流れてなかったはずが、
のちにTVCMにもなったような。
違ったらごめん。
好評だったからかなあ。
私が好きなのは、画像のわざとらしさのない
音だけの表現のほうだけど。

♪BGMが流れつつ…

「ボランティアってたいへんなことだって
 ついつい構えてしまうことあるよね?
 でも車椅子の人のためにエレベーターのボタンを押したり、
 お年よりのかわりにバスの降車ボタンを押したり。
 ね?
 人差し指一本でできるボランティアもあります。」

♪AC〜公共広告機構です

という作品。
HPで実際に聞くことができる。
久しぶりに聞いたなあ。

もっとも、ありがちだよなあというのが最初の印象だった。
でもね、わざとらしさがあまりないんだ。
下條アトムさんのナレーションだからか、ごく自然。
だから、何度か聞いても、飽きない。
むしろ、つい手を止めて、耳を傾けてしまう。
それはきっと、文章が練れてるからかなあって思う。
指でも手でもダメなの。
“人差し指一本”という表現だから、心に響くんだと思う。
日本の言葉って、綺麗だよねえ。
―人を指す指。
(指しちゃいけないんだけどさ)
しみじみ。
「中指一本」じゃあ、あまり綺麗じゃないもんね。(笑)


ACの広告のなかで。
もう2年前になってしまうけれど、特に印象深いものがある。
単純になんとなく好きか嫌いか、という問題を越えて、
とても興味深い作品だった。

(以下は、サイトから引用させてもらいました。)


NA    臓器提供意思表示カード、持ってますか。

高山さん 倅が先にカード持ってたんですよ。
    そしたら、親が持たないわけには行かないですからね。
    いいことして死ねるって…。やっちゃおうって…。

NA    臓器移植、あなたはどう考えますか。

高山さん 私は、臓器を提供します。

NA    臓器提供意思表示カード。
     あなたの意思を携帯してください。

尾上さん お母さんは、ダメって言うんですよ。
    だから今のところは、「臓器を提供しません」に
    マルをつけてます。もっと理解したりして…。

NA    臓器移植、あなたはどう考えますか。

尾上さん 私は、臓器を提供しません。

NA    臓器提供意思表示カード。
     あなたの意思を携帯してください。

♪AC〜公共広告機構です。


私は、恥ずかしながら、このラジオCMで、はじめて意思表示カードを持つことで提供しない意思を表示できることを知った。
私がなによりこのCMに惹かれるのは、
「臓器を提供してください」というメッセージを全面に出していないこと。
つまり、臓器を提供しない側の声があること。

このCM…実ははじめはやらせかなあと思っていた。
この尾上さん、高山さんは、台本を読まされているのだと。
だが、実際は違っていて、この意思も言葉も、すべて本人の生の声だという。
登場してくれる人物選びにずいぶん苦労したと制作サイドのコメントがのっていたが、それだけに強いものに仕上がっていると思う。
私のなかでは、いまだに忘れられない広告のひとつだ。

ちなみに、公共広告機構のアドレスはここ。
過去の作品を聞いたり見たりできて、興味のある人間にとってはとても便利。

http://www.inter.co.jp/ac/



広告は、いちばん短い手紙のひとつだと思う。
誰が見るかわからないけど、
より多くの人により強くこのメッセージを届けたい。
そんな気持ちがこもっている。
でなければ、誰も目もくれない。

公共性の高いCMに限らず、その商品を買って欲しいという営利目的だって、
私は作品として完成度の高いものはあると思う。
広告を否定的にとらえる人も多いけど。
実際にそういう品のない広告は、
結果的には売上をダウンさせるだけだと思う。
ほんとうに商品に自信があって、
より多くの人に使う幸せを届けたいから買って欲しいと訴えるものは、
広告にも力がある。
そういうものじゃないかなあ。


余談だけど。
広告業界ってなぜあんなに人気があるんだろう。
(注:私は志望してない。)
広告業界志望のOBの就職活動の話をたまたま聞く機会があって、
いわゆるクリエイティブテストの話題では
ひえーっって怯えてしまった。(笑)
たとえば目の前で突然きゅうりのキャッチコピーをつくれ、とか。
なにかを生み出すってつくづく大変。
私なら、頭の中まっしろになるなあ。
そうして怖気づいてどんどん感性勝負の仕事から離れてゆく自分。
でも自覚することも大切なはずさ。
クリエイティブよりは、たぶんこつこつ地味に生きるほうが
合ってるんだと思うもん。
…好きじゃなくても、適性はたしかにそっち向き…のはず。


ああ、早く割り切らなければ間に合わない。
可能性の薄いものは片っ端から切ってゆかねば。
そう思うのになかなか切れないのは、ただの未練。
感傷。
そんなの似ても焼いても喰えん。
夢がないと厳しいといつかの日記に書いたけど、
でもそれじゃあ生きてはいかれない。
ほんとに、選ぶって、切るって、なんて難しいんだろ。


日記には感じていることをこうしてそこそこ素直に書けるのに、
エントリーシートだったり、ましてや面接だったりすると、
なぜ私のなかはからっぽになるんだろう。
感じていない、なーんにも考えていない、
ただの肉の塊になったような気がして、途方にくれる。
ひたすら掘り出してもなにもない、という気がする。

だから、私には書く場所が必要だ。
体裁を気にせず、ただ吐き出せる場所。
考えを練った上で書くんじゃなく、
書きながら自分が少しだけ見えてくるような、そういうプロセスを踏める場所が。
自分のなかだけで書けばいいんだろうけど、
私は誰かに伝えたい気持ちが強いらしくて、
やっぱりこういうカタチをとってしまう。

思いついたときに、思ったことを。
そうして、カタチにしておくことで、
たぶん、流れてしまういろんな自分を、とどめておこうとしてるのかもしれない。
感じて、考えて、そうして生きてるんだという実感がほしいんだろうな。


ところでなぜこんなにも途中から方向がずれる、日記よ。
まあ、広告のことだけのエッセイなら、日記じゃないしな。
実際いまはなにを考えてもそっちに結びついてしまう時期。
あえて触れないのはむしろ不自然だもん。

2001年03月03日(土)
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