unsteady diary
riko



 お伽話

ほんとうに幸せな物語は、読むほうまで、切ないくらいの幸せで包んでくれる。
自分が、まだ、幸せな物語を愛せること。
そういうやわらかな部分が、あることに驚き、ほんのり嬉しくなる。

いわゆる少女漫画が好きだった。
性善説が根底にあった当時の私は、ヒューマンドラマのような熱いのが
好きだった。
でもいつのまには、あまり読めなくなって。
嘘とご都合主義で塗り固められた物語と
現実との間の溝に気づいてしまってから、
少しずつ捻じ曲がった物語へ、入っていった。

ほんとうにエンターテイメントな作品は、年齢なんか関係ない。
心を揺るがすほど、痛かったり、衝撃的だったりする作品は、
いまでも好き。
たとえばそれは樹なつみの「OZ」だったり、いろいろね。

ただ、もう少し幼くて、だけど、やわらかくてあたたかいものは、
ひねくれた心には受け付けなくなっているような気がした。
たとえば、王子様とお姫様が幸せになりました、みたいな。

でも、そういうものも必要なときがあるのね。
いかにも少女漫画然としているかもしれないけれど、
幸せにしてくれる。
読み終わるまでの束の間。
短い夢を見た。

くすくすって思わず口元がゆるむ、
そんなふうな笑み方が好き。
終わらない幸せなんて現実にはないとわかってはいても、
ありえないことさえも、ありえてしまう気がする。
現実離れしたことだって、ほんとうに実現してしまう気がする。

最後のページ。
本を閉じれば、もうおしまい。
不可能を可能にする物語とは違って。
現実はなにも変わらず、問題が山積み。

逃げてるのかもしれない。
ガキかもしれない。
それでも。
痛い話ばかりじゃ、生きてゆけない。
幸せな話を、ぬくぬくする話がほしい。
もう子供でなくなった今も、やっぱりそう。
お伽話は、必要なの。

2001年03月12日(月)
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