【復活!】ダイエットなDIARY
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2003年09月04日(木) 天理




天理大というところにいる。



学生ホールから更新している。




薬が効いたのか熱と関節痛も今のところおさまっている。




昨日は鹿児島から奈良までたどり着いたのであるが、朝の4時ごろから嘔吐と下痢で死にそうな目にあった。



嘔吐ははくものがなくなっても吐き気はおさまらず、下痢は完全な液体だ。




なんかの食中毒の模様。


熱もある。




入院しそうな勢いだったが、30分ほど気絶するように眠ったらしく、ふらふらしながらもなんとかホテルヲチェックアウトし、空港までのシャトルバスへ乗ることができた。

空港まではバスで60分ほどかかる。



空港でチェックインすると、事前に予約していた席とは別の席が予約されている。


カウンターで問い合わせても原因はわからない。


あまりにもずさんな対応なので、セキュリティ意識を高めてもらおうと、クレームをつける。

こころに余裕がないのでものすごい怒りの気が充満していただろう。


係員(男性)に原因を調べるようきつく申し付け、搭乗する。




大阪につくとJASの人(女性)が待っていて原因を説明する。


システムの責任にしようとしていたが、問い詰めると、結局人がミスをしていたことを白状する。


大阪の空港の問題ではなく、そんな人に謝られても謝罪などは受け入れられないと告げ、鹿児島で再度調査させる。




大阪空港からモノレールで千里中央へ行き、そこから在来線で天王寺へ行く。

乗り換えに駅から駅へ歩かされる。


スーツケースは昨日ホテルからホテルへ送ってしまっていたが、身の回りのものとPCの入ったケースは肩に食い込むぐらい重い。



天王寺から奈良へ行くホームへ降りていくと、ちょうど電車が入ってきた。


オレの後から乗り込もうとしていた女子高生に「この電車は奈良まで行きますか?」と尋ねると「行きますよ」と笑顔で答えてくれたので、安心して乗り込む。



3駅ほどでその女子高生も含めた大量の客が降りてしまう。



不安になったので車内の路線図で確認すると、なんとこの電車は奈良よりも手前で終点である。


しかも、これは普通なので各駅停車で遅い電車だ。



だから途中で乗り換えなければならない。



で、快速の止まる駅で一度電車を降り、次の快速を待つことにした。




あの女子高生には笑顔でだまされたのでまたもや怒りの気が充満している。





やってきた快速に乗ると、これも奈良へは行かず、途中で京都方面へ行ってしまう電車であった。




地理や地名がわからないので乗る電車乗る電車、ことごとく間違っている。



もとはといえば、あの笑顔の女子高生が原因である。




次の快速駅で乗り換え、今度こそ奈良行きである。




15分ほどで奈良へついた。




奈良でのホテルは三井ガーデンホテルなので対応もしっかりして、設備もよい。


ツインのシングルユースなので部屋もゆったりしている。


しかし、フロントで聞いたところ、プリントアウトのサービスはやっておらず、奈良市内にはインターネットカフェ自体はあるらしいが、プリントアウトはどこもできないという。


また、館内LANの設備もないので(モジュラーは部屋にあるがモデムはない)ネットにつなぐこともできないので調べることもできない。



これから原稿を仕上げ、プリントアウトしなければならないから、ちょっとピンチであるが、体調はそれ以上にピンチである。


長旅と病気と苛立ちで体力は消耗されきっている。


もちろん朝から食事などもしていない。





シャワーを浴び、あまりにも体調が悪いので、抗生物質や解熱剤、鎮痛剤、ビタミンなどを投与して少し眠ることにした。


館内の販売機でビールを買って流し込む。




ちょっとうとうとしたところで電話がある。



鹿児島のJAS職員からで、オレが最初に調査を命じた職員である。



説明がまだあいまいなので、きちんと調査をするように命じ、上司と相談してからかけなおすように告げる。





またちょっとうとうとしたら、今度は責任者というひとから電話がかかってきた。



これらの経緯はめんどうくさいので今度ゆっくり書く。



結局、鹿児島の責任者の権限ではどうにもならないらしいので、本社と交渉することになって、これは今日現在、まだカタがついていない。


つうか、こんなことで戦っている場合ではないのであるが、乗りかかった船なので最後まで決着をつける。






鹿児島空港の責任者が出てきたところで、普通の日本人なら適当にゆるしてしまうところであるが、オレの方は失恋の痛手があるのでそんな寛容性がなくなっている。



まあ、そんなセイーシンジョータイだからつぎつぎにイライラのタネは尽きないのかもしれないが、すでに歯止めは効かなくなっているいるのである。



夜の9時ごろ目ざめると、すこし体調もよくなってきたので原稿に取り掛かる。



プリントアウトの問題はあったが、なにしろ原稿ができていなければ話にならない。




イギリスから持ち帰っていた資料と取り組む、80年ほど前に出版された歴史資料である。



ここから必要なものをピックアップし、旧稿をリライトし、なんとか形にした。


午前12時頃である。


約3時間でできてしまった。





こんなことなら時間に余裕のあるときにやっておけばよいものであるが、もちろんそんなことはできない。



また体の節々が痛くなってきたので、ビールを飲み、湯船につかり、薬を飲んで寝た。




目覚めたのは9時前で、体調ははるかによくなっている。


洋食バイキングの朝食をとり、部屋へ戻って念のためまた薬を飲んでいる。


会場である天理大学へ電話をするとプリントアウトは可能だというので、着替えを済まし、原稿と資料をFDに入れて出かけた。




コピー機ではコピーをして学生食堂で食事をしていると、コピーのおつりを返却させることを忘れていたことに気づく。


外の日差しがあまりにも強いので取りに戻る気にもならない。



財布を忘れなかっただけましである。





今年はせっかく冷夏だったのだが、イタリアといい、鹿児島といい、この奈良といい、暑いところばかりへ行っている。













こうして忙しくしている間に失恋の痛手も徐々に薄れ、そして忘れてしまうのであろうか。






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