![]() |
夜の大走査線-斑鳩〜橿原大激走 - 2003年06月24日(火) それは6月24日火曜日夜のことでした。 私はD論の構想発表会を翌25日に控え、徹夜っぽい日々が3日ほど続いていました。その夜は子どもたちが寝たあとであめでおにパワーポイントを使った発表の予行練習を聞いてもらい、最終チェックをしてもらうことになっていました。 夜8時、あめでおが帰宅した音を聞きつけて次女おKが大興奮のターボハイハイで玄関まで迎えに出ようとしていました。私は台所からおKの後姿を見ていたのですが、ハイハイでダッシュするおKが部屋から廊下に出ようとして、段差に躓き転ぶのが見えました。おKさんはオペラ歌手のように朗々とした声で泣きました。「まったくもう」とか何とか言いながらあめでおとふたりでおKさんを助け起こしてギョッとしました。 生えたばかりの下の歯の根元が切れて血が噴出しています。また真珠のように白い4本並んだ下の歯の左の歯があらぬ方向にいがんでいるように見えます。あめでおさんにとにかくすぐに夕ご飯を胃に流し込んでもらいながら、私は消防署に電話をし、夜間外来を受け付けてくれる子どもを見てくれる歯科医を探しました。私の暮らす管区にはそういう病院はありませんでした。外科を紹介されて電話をしましたがこの状況の子どもを診察することが出来る医者はいないと断られました。もう一度消防署に電話をすると、管区ではないがはるか南の橿原市の県立医大病院なら口腔外科があり、救急も受け付けてくれるはずと教えてくれました。 電話すると果たして救急に口腔外科医が待機中なのですぐくるようにとのこと。ご飯を食べ終わったあめでおさんとそろそろ眠りそうな1号となみだのおさまったおKさんと4人で車に乗り、一路橿原を目指しました。橿原は神武天皇が即位した橿原神宮のある町です。正直申し上げて遠いです。道中あめでおさんともしおKさんが手術入院、もしくは自宅療養になった場合、どういう順番で仕事を休むか相談しました。わたしは水曜のD論発表会を休み、あめでおさんが木曜日の仕事をブッちぎることで話がまとまりました。なんていって明日のD論発表会の欠席理由を皆様に連絡しようか、文面を思案しながら夜の国道を南下しました。 さて救急救命ERの皆様はお医者さんも看護婦さんも全員20代って感じの若さで大変活気がありました。夜の病院は研修医が支えてるって感じですか? 中でもひときわ若く可憐で、モーニング娘の新メンバーって雰囲気の超美形の女医さんが診察にあたってくれました。 「傷も浅いし、薬や縫合は必要ありません、神経が死んでるかもしれないので3,4日たったら小児歯科でもう一度処置してもらったほうがいいかもしれませんが、日常生活に影響はないでしょう」 とのことでした。「保育園はいってもいいでしょうか?」と聞いたところ 「休む必要は無い」とのことでした。 11時半過ぎにすでに夢の中の子どもたちとともに帰宅し、もう発表の予行練習なんかする気力も無く、朝までみんなでぐうぐう寝ました。 よく25日は予定通りD論発表会に出ました。ぶっつけ本番の発表だったけど、まあ発表の場に立てただけでも良しと言う事で。 追記:28日に小児歯科で見てもらったところ、神経も死んでおらず、ちょっと歯が外むいちゃったけどかみ合わせに問題の無い範囲なのでこれ以上の治療は必要ないそうです。まあ、よござんした。 ...
|
![]() |
![]() |