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心境 - 2001年02月18日(日)

今日、何をしていたかと言うと、ほとんど「寝てた」。
たまに起きて、メールをチェックしたり、本を少し読んだり、音楽を聴いたり。
体調は、結構良くなった。薬のせいかもしれないけれど。

寝て起きてを繰り返しながら、何故かニュースの時だけは起きていた。
朝の討論番組とか。昼のNHKのニュースとか。

相変わらずもめているのは政治。
森首相支持率約8%。
すごい数字だなあ。
というか、まだ8%の人が指示をしていると言うのがすごいのかも・・・。
どこまで下がるのか、試しているのかなあ。

宇和島高校の実習船と原潜との衝突事故に関しては、今日はえひめ丸の海中での映像が放映されてた。
その映像を見た行方不明者の家族たちが説明を受けている様子が映像で流れていた。
原潜の乗組員が予備審問にかけられるだとか、原潜に乗っていた民間人の名前が公表されたとか。
家族の様子は、真剣ではあるけれど、私には「虚ろ」に見えた。

家族たちにとって、乗っていた人がどうだとか、何が事故の原因だとか、そういうことは今はまだ意味がないことではないだろうか。
もちろん、責任や、原因や、理由は、事故を起こした側や、組織、国家にとっては必要なことだとは思う。
けれど、行方不明者の家族にとっては、まだそんなことはどうでもいいんじゃないだろうか。

彼らにとって最大の関心事はおそらく
「行方不明の家族はどこにいるのか」
ということだろうから。

自分の大切な人をなくしたとき、理由がどうだとか、何が原因だったとか、そういうのはどうでも良かった。
一番の問題は「誰」が自分の大切な人を奪って、自分の大切な人はもうここにはいないということだった。

刑罰の問題だとか、ルールの問題だとか、補償金の問題だとか、これからのことだとか、話をしている人の言葉は「日本語」として理解しているし、聞こえてはいるのだけれどどうしてもそれが「意味を持つ言葉」としては聞こえなかった。
あの時の私は、おそらく、あのテレビに映っていた行方不明者の家族と同じ顔をしていたのではないかと思う。

今のこの瞬間は果たして本当に現実なのだろうか。

話の間にふとそんなことが頭をよぎったりもした。
それでも、どこかに「大切なひとはいない」という意識が残っている。
「やらなきゃいけないこと」と「聞かなきゃいけないこと」が自分を取り巻いていて、喪失感はすぐにはやってこない。
一通り落ち着いて、ふと考える時間ができたとき、その喪失感はとてつもない痛みを伴ってやってくる。

あの人はいない、声を聞くことはできない。触れることもできない。
もっと、優しくすれば良かった。もっと、話せば良かった。もっと・・・。

言っても仕方がない後悔を伴って、一生その喪失感は消えることがない。
そういう人の前で「組織」の言う「理由」も「原因」も「保証」も空虚な言葉にしか聞こえない。

「精神的ケアが必要」そう、いっぱしの専門家は口を揃えて言うけれど。
タイミングを外したケアほどより一層のダメージを与えるものはない。
そして、そのタイミングを計れるのは、おそらく、同じ痛みを持つものだけなのかもしれない。











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