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嬉しいという気持ち、あるいは踏み忘れた手順を踏む時期について - 2001年08月13日(月)

ずっと前に、会社の同僚から、あの子と私の事に関して「手順を踏み忘れているのではないか」という言葉をもらった事があります。
それは、ある意味わかっていて踏まなかった事であり、ある意味、分からなくてどうしようもない状況だった事でした。

色々と、言い訳をする事もできるけれど、早く言えば、ずっと私が逃げていた事です。

今日、そのずっと踏み忘れていた手順を踏んできました。
本当なら、会わずにいたかもしれない。
けれど、私の中の会いたいという気持ちは本当だから、その気持ちをずっと見ないフリをしていた今までと同じではなく、その気持ちを見てみようと思いました。

夜の7時に梅田で待ち合わせ。
待ち合わせの前に、駅のコンビニによって、その店を出た瞬間、何の前触れもなく、会いました(笑)。
時間が近づくにつれ、緊張していたのは本当だけれど、妙に冷静な自分もいました。

とりあえず、ご飯を食べに行こうという話で、この間見つけた店へと移動。
前なら、歩きながらもずっと仕事のしんどい話をしていたけれど(相手が)二人とも黙りながら歩くのは、まあ仕方ないといえば、仕方ない事なのでしょうか。

店に着いて、時間が経つにつれ、以前のように話が弾みます。
ただ違うのが、以前の部署のしんどいはなしではなくて、今の仕事の話と仲間内の話し。
去年の同じ時期よりは、ずっとずっと楽しそうなのは、やっぱり見ていても嬉しい。

映画の話、音楽の話、マンガの話、テレビの話、脈絡もなく、ありとあらゆる話をしましたが、恋愛の話だけは、しないだろうと思っていました。
私ではなく、向こうが。
けれど、私のその認識はやっぱり、甘かった(笑)。
6月に偶然みかけた、という話をして、しばらくして、私が2月か3月あたりに行った占いの話になった。
「6月に運命の人と会うでしょうといわれたけれど、会わんかったわ」
そう言うと、あの子は「わかった。それはあの人だよ。新大阪で偶然会った人」
・・・つまり、自分だといいたいらしい。

どこからどこまでが本気なのかは分からない。もしくは全部が冗談で、そこに一かけらの本気を入れてほしいのは、やっぱりまだあの子を好きな私の「期待」なのだと思う。
それでも、「もういいよ」といってしまったのは、ちょっと失敗かもしれない。
「それが本当だったらどうするの」と聞き返してみても、良かったかもしれない。あの子にとって、私が会う気になった事で、もう私があの子の事を忘れたと思っていただけなのかもしれないけれど。

間ヽで、恋愛の話が出た。
ずっと気になっていた、白泉社の子の話も聞いた。
ある意味、今までよりもずっと深い恋愛の話をしたかもしれない。
それは、私があの子を好きだという事がもう分かったうえで、成り立つ会話だから。
隠す事はない、痛い話でもない、ただ、「事実」としての会話。

あの子が好きだとか、そういうのはもう分からない。
でも、前のように話せるのを嬉しいと思う。あの子が楽しそうに話しをしているの見るのが嬉しいと思う。そして、そして何より、最初に乾杯をする時にあの子が「誕生日おめでとう」と言ってくれた事が、嬉しいと思う。

踏み忘れた手順を踏むのに遅いということは、ないのかもしれない。



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