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2001年04月14日(土) ■ |
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甲斐性無しの言い訳三昧 |
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三波春夫さんがお亡くなりになりました…お悔やみ申し上げます。 不思議に好きだったと言うか。
ネチケットの勉強がしたくなった。 サイトの整理整頓が無性にしたくなった。 これはまずい…せめて、「近いうちに」出来るように頑張ろうと思う。
以前書いたエイプリル日の話で、知り合いに少し怒られてしまいました。 安易。 確かに、そうだった。あの内容は、夜の1時過ぎに書くべきではかった。 自分の気持ちのみを書いたから、言葉は足りなく適当で、他の人の考えは眼中になかった。ただ、怒られた内容がどうにもピンと来ないものばかりだったので少しだけ、補足しておきます。 タキシード&ドレス…そう、よく考えたらあくまで「自分は自分として」人を好きになる場合、自分は男として男を、女として女を好きになる場合は自分は格好よく、可愛くありたいと思うのだろう。並び的にズボンとスカートで見慣れてたから違和感を感じたのだがこれは失礼だった。いやでも、子孫は残して欲しいですね。凄い勝手な意見ですが、私の子供が若しそうならそこで家系が途切れるのは寂しいとかそんな訳の判らない理由です。 恋愛の形態は自由だと思う。 人が人を好きになる感情と言うのは、心の内から自然に湧き出てくるもの。 同性だろうが異性だろうが、人が人として人を好きになる。 その感情に「恋愛」とか「友愛」とかの名前をつけたから区別されるんであって、内から湧く感情は止められないし、止める必要も多分ない。好きだと言う意思は素晴らしい事だと思う。 但し、意思表示と押し付けは違います。私は同性だろうが異性だろうが、好きだなと思われると嬉しいが自分が相手の事をそう好感に思ってもない内から「好きだ好きだ好きだーッ!!」って来られるとイヤです。友情でもそう。「私はこんなにアナタの事を思ってるのにッ」なんて言われると、天邪鬼な私はかえって心を閉ざしてしまう。 …言われる事もないけどネ。(しかも途中から変わってしまった話;) 但しこう言う意見は、当事者側に立てない人間のあくまでの理想論。同性愛者の気持ちが判りますかと聞かれると、判らないです。苦しみも、悲しみも。同性に恋愛感情を持つ人は世間一般では少数派だから、「普通」を外れたものを極端に排除したがる人間によって煙たがられてるんだろう。 オランダの凄いと思った所は、受け入れる体制をいち早く作った所。気持ちが判らないから排除するんじゃなくて、私達には「ああ、こう言う人もいるな」と受け入れるしか出来ないんですよ。それが大事なんだけど。 同性愛を描いているくせにのっけから「嫌いです」なんて疎外する人は、無神経だと思う。描いてもいいし読んでもいいし、実際は苦手であってもそりゃあ別にいいと思うけど、それとこれとは別でしょう。
気持ちが判らないからどうしても安易な甘い考えになると言うのは仕方ないと思うんですよ。そう言うと逃げになるけど、だからと言って判る訳もないし判りたくもない。「判る」と「認める」は違いますよね?別に同性愛に限らず、自分と違うものを自分とは違う人間、性格として認める器が、大事な事なんだと思う。 だから結局私は、「別にいいやん」と思います。これ以上は踏み込めないし、踏み込む必要も多分ない。子供の恋愛を「真似事」とするなら、本気で人を好きになった事もない私がこんな意見を吐くのはそれこそ甘いと思いますが(私は真似事とは思わないけど) 結局安易でゴメン。
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