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Daydream

 


ドッカン日記
DOK.Kan

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2001年06月09日(土)
ヒビ、ツレヅレ

歩いていても、家で寝てても学校で勉強していても、
「死ぬ可能性」はどこにでもあった。
だけど、「殺される可能性」なんて、最早防ぎ様がない。
一体何に怯えて何を防げばいいのか、それを守ったら、
道を歩けも家で寝ても学校に行けもしない、生きていけませんね。

生まれた瞬間から「命の尊さ」と言うのは本能的に理解出来ている筈。
なのにそんな基本的な事すら理解しかねている人間が現在いる訳で、
そして私は命の尊さは判っているつもりでも、何故か、それを明確に説明出来ないでいる。
「何故殺してはいけないの」「何故死んではいけないの」…説明出来ますか?
しかし、何故そんな事にすら説明が求められるのですか。

自分の考えを持っている人が、今の世にどれだけいるだろう。
自分の頭で考えていますか?「私はこう思う」と、胸を張って言える?
考える事を放棄した人間に進化はないし、
考えられなくなった人間は最早考える事すらどうすればいいのか判らない。
残念ながらこの世の中、考えなくても流されて生きていける。
寧ろその方が楽かもしれない。自分にダメージはないから。
でもそれじゃ、何の為に生きてるんでしょう。本当に自分の為?
考える「振り」をしている私には、判らない事なんだけども。

想像力がなくなっている。最も怖い事。
例えば奪う者は、奪う事自体と奪われた事、感じる力がない。
本能のままに生きる、加えて程度と言う限りがないから生きる為と確固たる目的がないからそれは
「野生の獣」として生きる動物ではない。ただの怪物だ。
それで人間ですか?本当にそれで?
人と人との間、動物との共生、環境との共存…?
この世が自分ひとりだけなら、或いはそれで良かったかもしれないけれど。
在るがままに我儘に、「何をしても許される」。
その傲慢は、残念ながら動物ではない怪物だ。

生きたくても死んでいかなくてはならない人が多い中で、自分の命をよりにもよって
「生きていても仕方ない」なんて奪う奴は、迷惑・悲しみを置いておいても最も贅沢な悩みでしょ。
命は自分の物ではないし、誰かの物でもない。
それを奪う事は誰であってもどんな理由でも、許されない筈。
自・他関係なくね。

「自由」と言う拘束の中で、自分を貫き守る事は他人のテリトリーを侵害しない事。
愛とか慈悲とか思いやりとか、言い方は色々あるかもしれないけど心を無くした人間は、人間じゃない。