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2001年06月07日(木) ■ |
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School days4〜面談編の二 |
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久々に日記を書いたらあまりに長くて切ってしまいました。 コンフェデ杯ビバ☆ニッポンイレヴン!!習い事の為に後半からしか見られなかったけど (つまりまたシュートシーンを逃したと…泣)格好いいよぅ!!フランスかブラジルか…楽しみだ。
校則問題について…これは実は私の中で一つの形として整ってたのですが。 以前担任当てに出した意見書の事ね〜最後に手を組み直されて万全の体勢で来られましたね。 「それはそうと〜」…ギクぅッ!って感じに。(笑) 正直に言うと、忘れてたんだけどね。(4月27日付参照くらいかな?) 何だか言い包めようとしてるんだろうかと言う雰囲気をヒシヒシ感じたが、元からコチラは反対ではない。 このような結果を推し進めるに至っては、仕方ないとは思っていたけどやはり、段階の問題で納得できない。 学校は社会の縮図ではあると思う。 その中で、建前は大事なのは確かで、建前を立てれば自由は崩れ、自由を立てれば建前は崩れる。 但し、何をしてもいいというのは「自由」ではない筈。 我儘と自由は違う、自由である為には自由を望み続けなきゃいけないし自由であり続けなければいけない、 既に「自由」と言う一つの拘束がそこにあるんだよな。 本当の自由とは…実は、多くの先生は今まで口を酸っぱくして仰っていました。 そこから学び取る事が出来なかった生徒のバカさがこの状態を招き、こうなってしまった。 段階を踏んで自由と言うものは何か、そしてこれを今することの必要性は何かが知りたい。 「それは俺に言わせれば甘えやわ。」まあ、そうだけどな。 私に言わせれば押さえきれなかった教師も十分温いわ。 建前と言うのはある一定の纏まり程度はなければ成立しない筈。 それすらないでしょう、建前を翳しときながら。 今回の学校がとった方法の結果は直ぐに出る物じゃないけれど、私達は後一年だから中途のままなんだよな。 それがまたイヤで。「ええやないか、今こうして聞けてんねんから。」 って、それがヤだから必死で聞いてるんだっつの。この先生、考えが意見として言いたい事が 言葉として纏まっているのはいいんだけどどうも、飛ぶんだよな、言葉が。 ただ、うちの学校の何が素晴らしいと言うとやはりこうやって、 判らない事は納得するまで話を聞ける環境だ。私が思う自由とはそれだから。 意見を言う事、聞ける事。そしてそれをどう活用するかは私達次第。 私は一応、自分の中である段階で纏まってはいるんです。 憶測で先生はこう言いたいんじゃないか、私はこう思うと思った事は確かめれば。 どちらも言葉が足りなかったと言う事かもしれない。「曖昧な意見が出ることは素晴らしいぞ。」 って、それは「強制的支配を受けない自由」と言いたいんですか…? 私に言わせればそれはどちらも必ずしも素晴らしい事ではないんだが、憶測でまたそれを理解しなあかんと。 …言葉足らんやろ絶対ー!!
正しい間違ってるで片付けられるものではないから、長い目で見なければいけないかもしれない。 結局言い包められる理由がないのでそのままだけど、言いたい事は大体言ったかな? 実際楽しかったです。教師と議論すると言うのはね。中々出来る事じゃない。 今日はケンカ腰ではなかった!これは絶対。 ただまあ、「よく判ったわ。」と言われたけどこっちはまた混乱してるんだぜ。 どうでもいいけど私は人と話す時は睨む程に人の目を見て話すクセがある。 これは幼稚園のシスターにつけて頂いた非常に有り難いクセなんですが (実戦向きです。具体的にはケンカ向き)その上で、話をしている最中に ゴロゴロゴロゴロ姿勢を変えられるのははっきり言って目が回る〜!! そんなに前髪が鬱陶しいなら切りやがれ!! 40分はしんどいっちゅーの。
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