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ドッカン日記
DOK.Kan

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2001年12月06日(木)
あと一日です。

あと一日の期末週間なのにさも終わったかのようなこのノリは・・・(パソコンしてるし)
や、実はちょこちょこしてたんですが。
今日はオーラル・コミュニケーションのテスト。
収穫感謝祭"ThanksgivingDay"(辞書・電子辞書の類にこれで出てきます)の英文説明の
テープを聞いて内容把握して、それがテストに掛かるんですが、ネットで感謝祭の説明漁り。
反則技と言うなかれ。お陰で内容バッチリ!(悪い子!)(ちゃんとテープ聞きましたって)
え?テストの出来ですか。
"内容把握"と"その内容に対する英語による質問の理解"とは別問題です。

明日はクリスマス献金。献金袋が一年ぶりに配られました。(資源節約の為に毎年流用)
・・・なんか袋に違和感を感じて、中の物を出してみると一円玉二枚。
アンタら、一年振りの脱出か。
「おい〜・・・(誰か気づいてやれよ)」とか思いつつ、なんか微妙に得した気分が
・・・ある訳なし。(提出済み)

一年ぶりに引退した聖歌隊に、今度は合唱の一隊員として参加させて貰える事になりました。
明日から練習です。歌う方は久々なので(ええ、二年ぶりくらい)頑張らねば。
楽しみ楽しみvv後輩に「ご隠居」とか言われちゃって何気にショックvv

最近思った事。
当たり前ながら、この世界に「絶対の正義」と「絶対の悪」はないようだ。
天秤を傾けてどちらかと言えば・・・と言うもので。
「絶対の悪」において、最近の犯罪ではないと言えば首を傾けざるを得ませんが、
「こいつがめちゃくちゃ非常に腹の立つほど悪い!」と言っても
「でもこいつに影響した何かが、ほんの少しこれくらい、こーれーくーらーいー僅かに理由の一つ」
と言うのがない訳ではないかなと。あくまで、主な本人の罪悪に微々たる影響を及ぼした
サイドの微かな背景の極一部分と言う事ですが。それを主要な理由の一つと取り違えると、
妙な加害者の人権保護と被害者の人権侵害と言う滑稽極まりない状態を招きかねない気がするのですが
ここらへんはあくまで私個人の考えです。
ただ、「絶対」と言う言葉は普段私達が何気なく使うべきではない、殊の外重い言葉だなあと。

人を裁くな。自分が裁かれないためである。
なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。
偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい。
そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取りのけることができるだろう。

これは聖書の言葉ですが。(新版では確か「ちり」=「木くず」、「梁」=「丸太」)

他人の問題に我が物顔で参入して、碌に自体も背景も心情も理解していないくせに
さも自分は正義面をして正義の名の許にと建前を被って、裁く。
後に残るのは当事者達の傷だけ。癒える事のない、傷口に更に塩を塗りこまれたような痛み。
しかし自分はと、「正しい事をしたのだから」傷は愚か寧ろ後に残るのは爽快な達成感か。
そのような勘違いも甚だしい人間を目にすると、私は胸が痛くなる。
・・・私も偽善者だった。