仕事は忙しくて、30日に入札があって、それの結果によって次の仕事場が決まるかけなんだけど。 実際、職員さんの半分くらいは来年度で入れ変わり、その引き継ぎ業務のまっさい中だったりする訳で、永遠と思われた日常は、やっぱり続かないんだなぁとかしみじみ思ったりしているのでした。 そして、その”続かない”要因を担っている不確定要素でもある自分が、別に深い感慨もなく業務をこなしているところが、ちょっと嫌だったりするんですけどね。
まぁ、そんなことはどうでもよくて。 ウルティマですよ、ウルティマ。 結局やっぱりといか、そもそもが無謀といわれるべき5時起きは、つつがなく失敗しているので、そんなには眠くなく、うきうきゲームスタート。
今日はleoさん鍛冶の日だから、一人で戦闘の日なので、ふらふら歩いて敵を倒す。 途中大きな迷路に迷い込んだり、またこの間行った、遠くの街までたどりついていたりしながら25時まで過ごしてトリンシックに戻る。
YASがleoさんと話をしているというので、その現場に向かうが、どうもleoさんの調子がおかしい…、 あはは、またコネクションロストしてる。 しかも頻繁に(^-^;)
leoさんが始めて2日目という、初心者の人に防具とかを作ってあげていて、とりあえずそれを渡すところまでいってたらしいんだけど、最後にその人がお礼を言ってleoさんの名前を聞いていたところでまたコネクションロストしたらしい。 しかもどうやら再起動しているらしく、異様に長く応答がない(^-^;;) あーあ、大変だなぁ、と思っていると、その人(ryuさん)は、困ったように去っていってしまった。
慌てて追いかけて、leoさんの名前を教えてあげる。 ついでに、いろいろお話しつつ、わたしとYASとで世話をやきまくる。 わたし達の大好きなleoさんが、世話をやきたくなる人なら、うちらがやかないわけにはいけないでしょう。(日本語変?)
包帯あげたり、YASが盾作ってあげたり。 戦士だというので、じゃあ馬を捕まえてきてあげましょうー、と外に行って捕まえて来る。 さてさて、はい、馬あげますー、と、所有者の変更をすると’出来ません’とのメッセージ。youngの人にはyoungじゃない人からペットを譲渡出来ないらしい。 うわ、そんなん知らんかった。ryuさんはばりばりyoungだもんなぁ。 残念。 youngが取れたら、また馬捕まえてきてあげると約束。 途中leoさん戻ってきたけど、あまりのパソコンの調子の悪さに、今日はやめると言い残して去っていきました。 けっこう不幸な人だ。 こんなに良い人なのにねぇ(^-^;;) 今日はあんまりleoさんとお話出来なかった…。残念。
あげられなかった馬をしばらくずりずり引きずって歩いた後、もらってくれる人も見つからないので、馬をリテイム。リテイムというのは野生に戻すことですな。 ぶるるる言った後、その馬は怒って野生に返っていきました。 ごめんよ、馬ー。
今度一緒に戦闘しに行きましょうとしめくくってから、ゲーム終了。 明日はleoさんと戦闘できるといいな。
どうでもいいことなんだけど、考えたこと。
いや、文章を書くのは好きで、一度書きつけるといろんなことを書きたくなるのでした。 最近ちょっと考えることあったし。 それに、ばかだから、頭の中だけでは考えまとまらないんだよね。 文章書くことを、思っていることを言うということの代償行為にしていたから。 書いていると、最初と大きくずれちゃうことも多いんだけどね(^-^;) だから、支離滅裂、自己満足な文章です。読まなくてもいいです。 自分のための文章だから。
で、本文。 なんで自分だけは例外って考えられるんだろう。 いや、そうじゃないと、生きてるのが恐くなるからなんだろうけど。 …というより、実際激しく恐い訳で。
たとえば飛行機。 わたしは飛行機が嫌いです。 高いところも嫌いだし、なにより事故が恐い。
たとえば道路。 道歩くのも恐い訳です。 だって、車走ってるんだよ?
たとえば階段。 踏み外したら、最悪死んじゃうよね。
この世の中には、事故に遭ったり、病気になったりする可能性なんてそれこそ星の数ほどあるわけで、その可能性を、自分の努力や、目に見えないなにかが働いて、なんとか回避して、奇跡とも言える確率で、今こうしていられるんだと思うんですよ。
でも、どれだけ回避しても、一回ミスしただけで、もうだめなんだよね。 死んじゃったらどうあがいてもやりなおし、効かない。 それが恐くてたまらない。
みんな、そんなこと考えないのかな。 前に2人くらいに聞いたことあるんだけど、その時は「考えない」って言われた。 100人に聞いたら、どのくらいになるんだろう?
まぁ、自分だけは特別って考えるのは、自己を保護するプログラムだと思うですよ。 動物としての人が出来ることなら、多分、死なないための行動パターンとかが遺伝子に組み込まれてるんだと思うんですよ。 サルが木から落ちて死なないように。 いや、落ちて死んじゃうのがいるのかもしれないけど、階段から落ちて死んじゃう人間ほど多くないでしょう。きっと。 それに、そうなる時は、自分のうっかりミスとかじゃなくて、縄張り争い等の喧嘩の最中とかが多いんじゃないかなぁ。
階段とか、飛行機とかの情報って、遺伝子には組み込まれてないと思う。 だからしょうがないから、お呪いのように「自分だけは大丈夫」と心の中で唱えつつ飛行機に乗る。 で、無事につけば「事故もあるけど、自分の時は大丈夫」ということになって、それが慣れてくると、その一連の思いが反射になって、考えもしないうちに「大丈夫、どうってことない」と思い込めるようになる。
または、小さい頃から少しずつ訓練していって、もうこんなに回数こなしたから大丈夫、となるのでしょう。
生きるのは恐いことだけど、生まれちゃったからにはしょうがないから、巧く自分と付きあっていくようになるんだろう。
でも、結局のところ、わたしはすごく恐い。 わかっても恐い。 だって、そうなる可能性が0ではないんだよ? 0でない以上、たとえそれが0.01%だとしても、1万人いたら1人はそうなるわけでしょう。 その1に、どうしてならないと言いきれるんだろう。 日本の人口が1億だとしたら、1000人が対象になる。 (…違うかな(^-^;)数字弱いのでわかんないや。あはは)
毎日毎日、自宅の階段、津田沼の駅の階段、南浦和の乗り替えの階段で、自分が落ちていく様をシミュレートしたりする。 毎日毎日、自宅が火事でなくなってたらどうしようと思いながら家に帰る。 腕が使えなくなったら。歩けなくなったら。目が見えなくなったら。寝たきりになったら。
ちっちゃい頃は、母親がなんとかしてくれると思っていた。 もちろんそんなのは幻想でしかなくて、現実には無力なただの人間で。 それに、世の中にはどこを探してもドラえもんはいないわけです。 頼りになるのは、自分の注意力と運で。 でも、自分が頼りにならないのは誰よりも自分が良く知っていたりするわけです。
そこまでわかっていつつも、やっぱりどうにかしたい。 怖さを忘れたい。 自分が頼りにならなかったら、どうすればいい?
きっと、思い込みでしかどうにかならないものだと思うから。 だから、もし、わたしが恐くなってしょうがなくなったときは、大丈夫だからと言ってやってください。 わたしの好きな人たちは、そういってくれたら、安心して大丈夫なんだと思える人たちだから。 お手数ですが、よろしくお願いします。
……あれ?こんな文章になるつもりではなかったのになぁ。 うーん。
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