■TRASH■

2001年07月17日(火) 考えること

夜も遅い、ベッドタウンへ向かう電車の中。
仕事や遊びで疲れきった人が、それでもなんとか今日を終えて帰宅の途についている。

モバイルで文字を打つわたしに、隣に座っている男性が、うとうと眠って寄りかかってきた。
体が大きいため、預けられた体重が重い。
しかも起きていた時、何度も急に「びくっ」と体を震わせているのを見ていたので、申し訳ないのだが「気味悪い」というのが先にたってしまったため、嫌で嫌でしょうがない。
それに、押された手の自由が利かなくなるため、キーボードが打てなくなる。
よりかかりがひどくなる度に、なんども体をずらしたりしてしまった。

自分の中の理想像だと、「しょうがないなぁ」と困った顔してモバイルの蓋を閉め、素直に枕になってあげている図が浮かぶ。
…そういう風にしたいと思う。
でも何故かそうできない自分が腹だたしい。

下手に理想像とか浮かべちゃうから、よりいっそうそうできない自分が、あまりに卑小に見えて、ふっと何をする気力もなくなる。

これが先入観がなかったら、あるいは小さな子供だったらどうだったんだろう?
友達だったら、直にでもそうできたと言えるけど、第三者だったらどうするのか、その判断基準もはっきりしないなんて。
ぐるぐるぐるぐる、自分を正当化する理由だけが、壊れたレコードプレイヤーから奏でられるフレーズように頭の中に繰り返される。

次に始まったのは、責任転嫁。
こんなことを考えさせる、この人さえいなければ、よりによってこのタイミングで隣合わせていなければ。

こんなこと考えてる間に、おとなしく枕にされてればいいのに。
キーボードを打つ手もすでに止まっている。
こんな自分は嫌だ。嫌いだ。吐き気がする。

それでもいつもと同じように、電車はその体を、見慣れたホームに収める。
馴染んだ空気に触れて、少し息を付く。

どこか遠く、空の高みに雷の光。
真昼の熱が地面からほのかに立ちのぼる道。
風に揺れる木々の中の鳥達は、とうに眠りについたようだ。

駅から自宅へ向かう通路に、その途中にあるスーパーのカートが置き去られているのに気付いた。

がらがらがら。

スーパーまで持っていくことにする。
きっと、悩んでもしょうがない。
出来ることから始めればいいんだろう。

家に帰ったら、旦那が今日はいいことしたのーって嬉しそうだった。
大家さんの車のルームランプが付いていたのを教えてあげたらしい。

嬉しそうな顔を見たら、余計そう思えた。


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