2001年07月22日(日) |
どうして&ICQパニック |
自分の中に流行のテーマってあると思うんだけど、ここのところのテーマは”数の暴力”と”偶然”でした。 ”偶然”という方はあるていど自分なりの回答が完成されていたんだけど、”数の暴力”というのには未だ自分を納得させる帰結がないままで。
ふと思うんですよね。 朝電車から降ります。 信号のない横断歩道を渡ります。 朝なんて電車がひっきりなしに到着し、その全てから、途切れることなく人が吐き出されるわけで、その横断歩道を突っ切りたい車は延々と待っていなくては行けないんですよ。 ほんのちょっと人の流れが止めてあげればいいだけなのに。 車の1台2台、通してあげればいいのに。
でも一人くらい止まったところで、なんともならないんですよ。 そこの場の半数以上が、”通してあげたほうがいいんじゃないかな”ってならないと。 少数派は、多数派に飲まれちゃうんです。 少数派になって初めて、”自分がそうするのは悪いことなのかな?”ってなるんです。ほとんどの場合。 そして、大多数が朝なんて”急いで会社に行かないと”という、そういったことに意識がそこに集中しているせいか、周りに目が行かないことがほとんどみたいで。
それ自体は悪いことでもなんでもないとは思います。 誰も悪くないんです。 誰一人として、悪いことをしようという意思はないんだけど。 でも、車の人だって急いでるだろうに。
そして昨日。
花火大会を見に、歩道橋に集まった4000人ものごみの中で将棋倒しが起きて、10人もの人が亡くなりました。 (29日現在11人になりました。ご冥福を申し上げます)
話を聞くほど、やるせなくなります。
こういった場合、何に対して怒りをぶつければいいんでしょう。 明確な対象がないんですよね。
ただ進みたい、早く帰りたいっていう、それだけのなんの悪意もない中で。 どうして人が死ななくちゃいけないんでしょう。 誰も人なんて殺したいと思っていないのに。 それなのに。
なんで、どうしようもなくなっちゃうんでしょうね。 進もうとするベクトルを、どうして簡単に止めることは出来ないんでしょう。 それ自体が、”悪いことではない”からなんでしょうか。
わかりません。
…茶髪の若者が人の肩を借りて歩道橋の上にあがり、子供を助けたり、烏合の衆となった人々を指揮したそうです。 (茶髪って書いちゃうのも嫌なんですけどね。 マスコミ特有の手段の気もするし。ここでは蔑みの対象じゃなく、身体的特徴として書いてます)
周りを冷静に判断して指向を持たせる力。 なんか、すごいなぁ。 こういう若者に日本を指揮してもらいたいっす(笑)
とにかく、今の日本に対する、象徴の事件のような気がします。 善悪と損得を混同した価値観の曖昧さ。 状況把握能力の欠如。 予測の甘さ。そしてその対策の貧弱さ。 指示されないと何も出来ない個人の責任能力の低下。
全て自分に対して言っていることでもあるんですよねぇ…。 …自分を鍛えないと…。 自分の思惑以外のところで、人を傷つけないためにも。
さて今日もウルティマです。 昨日依頼があった皮1万枚は、なんとか集めることが出来たので、その人に連絡…と思ったら、その人のICQ番号がわかりません! 昨日は向こうから連絡があったために、わたしのICQにその番号が表示されていたのですが、それは一時的なものだったらしく、今日はその番号が消えてしまいました。 ICQは番号がメールアドレスのようなものなので、その番号がないと連絡が取れません。 大慌てでログとかを漁るんですが、さっぱりです。 降参です。
お友達から連絡があったので、ついでに聞いてみたら、バージョンをあげるとログが見られる機能がつくというので、大慌てでバージョンアップ。 元OAサポートの手腕はどこへやら、なーーーんの下準備もせずにやってしまい、あっというまに環境こわれて大パニック!!
新しいICQを入れ、自分の番号を入れたんだけど、パスワードが入らない。 わたしあんまりパスワードって種類持っていないから、それを順に試すんだけど、パスワードエラーになったり、そもそもつながらなかったりで、全然先に進まない。 バージョンをあげたり戻したり、そんなことをえんえんえんえん繰り返し、結局新しい番号を取得することになりました。
新しい番号を手に入れたところで、依頼人と連絡が取れるわけじゃありません。 ICQの環境は壊れてしまったので、どうやっても調べる方法はありません><
困ったあげく、わたしがICQ番号を書いたのは、取引の為にUOの売買掲示板に書いただけなんで、そこを覗いている人に違いない、ということで、一がばちかで書き込み。 連絡が来ますように、と祈りつつ眠りについたのであります。
しょんぼり。
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