いろんな人の日記を見て思ったんだけど、わたしはやっぱり”旧い人間”です。
せっかくWebで、HTMLという表現方法を使用できるはずなのに、今までの、紙ベースの方法でしか日記は書けないんですよね。 FONTを変えることも、SIZEを変えることも、方法は知っていてもそれを自分の表現方法として使いこなせないな、と。
もったいないとは思う。 けど、きっと、そういう変換の境目の時期にいる、境目より古い人間というものは、そういう人が多いのではないかと自分を慰めたり。
例えば。 古くは坪内逍遥とか、新しくは新井素子せんせが出てきた頃。 新しい表現に違和感を感じて、それをかたくなに守っていた側の人たち。
今から見れば、新しい方法が主流になっているのは一目瞭然だし。 今がまた新しい時代への境なんだとは思うけど。
でも、自分は出来ないなぁと思ってしまう情けなさ。 旧い人間なのかしらん。
わたしの大好きな日記作家さんの一人、Genkyさん。 いろいろ研究していて、頭が下がります。 ただ単に、HTMLを使っているんじゃなくて、ちゃんと効果を狙ってる。 そして、その効果がちゃんと狙い通りに出てるところがいいです。 先駆者(こういったHTMLの書き方をはじめたのが、先行者という方らしいですね。有名な方らしいですが、良く知らないです。単数だか複数系使うんだかもしらない…)への葛藤やらいろいろあるみたいですが、こういった表現手段に新しいものが出現した時は、いつの時代もそんなものです。 あまりこだわらずに、独自の道を歩んでほしいです(^-^) 表現は手段の一つであって、それを使って共有したいという自分の中の思いさえ、マガイモノでなければ、その中にある価値を見出せる人は沢山いるんですから。
<8月22日注: この日記を上げてすぐ、Genkyさんから解説をいただきました。 そのまま引用です。
先行者ってのは単なる中国産のロボの名前です。 このロボを扱ったテキストで一躍有名になった 、「侍魂」が、フォントいじりテキストの火付け役です。
調べもしないのに、書くもんじゃないですね。 関係者のみなさま(誰だ(^-^;))ご迷惑をおかけしました。 なんというか、今あげたい!という衝動を押さえられるようじゃないと、テキスト書きとしては致命的かもしれないですね。反省。 >
それで思うのは、こういう人が、HTMLの効果を使った物語を書くと、新しい小説の書き方として、面白いものが作れるんじゃないかなぁ、とか最近しみじみ思ったりします。
せっかくWeb主体で売り出されても、結局本とかわらないんだもんなぁ。 紙ベースが一番落ち着くというのもあるかもしれないけど。
でも知らないだけで、もうそういう試みってされてるのかなぁ。
新しい側の人達の動きが、ちょっと気になるこのごろです。
ちうか、自分でやってみようかな。 ネタはないので、やたらに友達が誉めてくれた、オチなし怖い夢の話にオチでも付けて。 旬の季節である夏が終わる前にでも…。 …って、その前に日記の遅れを取り戻さないと(^-^;)
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