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2010年10月04日(月) 槍平弔い山行 1/2



  後輩が北アルプス槍平で、二年前の大晦日夜半、雪崩によって遭難、四人パーティの内、二人が亡くなった。すぐに現場に行くつもりで、小屋の予約券を買って用意し、次の年に飛騨高山まで行ったが、家の事情で引っ返して果たせず、今月(これを書いたのは9月末)ようやく槍平小屋に行く事が出来た。

 ずっと晴れていたが、槍平小屋直下辺りから、雨具を突き通すような激しい雨が降り、家人のつけていた雨具が耐えられず、自分の着ていたゴアテックスのと交換した位の激しい雨だった。
 小屋について見ると、小屋の前に、30×40�儖未離▲襯澆離廛譟璽箸法�war is over」 と印字され腰の高さほどの石組みに埋め込まれていたのが目についた。ハート形の石を見つけて持って来てくれとも書いてあった。
 小屋番に二年前の冬の遭難現場に線香をあげたいと申し出ると、まるで他人事のように、背丈くらいに伸びた灌木のある辺りを指して、この辺りだと聞いていますと指でぐるっと円を描いた。
ちょっとカッとなりかけたが抑えた。
 
 この小屋に入った時の印象が、まるでホテルの受付のような他人行儀な対応が気になった。
先の「war is over(戦争は終わった)」 は、多分元ビートルズのジョンレノンの反戦歌なのだろう、よくは知らない。ハッピークリスマスの副題に使われていた。これが唄われたのはベトナム戦争のただ中。当時はやっていたプロテストソングで、日本ではベ平蓮などが反戦運動をやっていた。北が正義で南は資本主義の悪だと言って、南を開放するのだと叫んでいた。当時毎日新聞(現、産經新聞)の記者、古森義久は現地にいて開放されている筈の北ベトナムから、どんどん一般人が南に逃げて来る事から、現実は全く反対の事が起こっている事を見抜いた記者だった。
 日本では、能天気なフォークシンガーが反体制の歌、天皇陛下を揶揄した歌を歌っていた。で、どうして槍平小屋が反戦小屋になったかは知らない。多分、先の親の世代から受け継がれた、えせ平和主義の結果だろう。
悲惨な戦争は嫌だ、何が嫌か。死ぬのが嫌だ。怖い。命の大切さを言いたいのだろうが、

こらー!小屋の親父(アルバイトかもしれんが)!
 
 わずか二年前に起こった雪崩の犠牲者に対してケルンの一つも積んで、辺りを整地して慰霊する事も考えないような情けない人間が、何が命を大切にだ。あの辺りですと指をくるりと回して遭難現場を指して、あんたはとんびか。

 おまけに朝起き抜けの目覚まし歌がボブディランであった。今ではベトナム反戦運動は当時のソビエトの工作の結果だという事がはっきりしている。
朝から小屋に流されるこの能天気はどういう事なのだろう。今は「war is over」どころか、「Other Than War  」の時代に入っていると天才的政治家の西村眞悟さんがこの前の講演で言っていた。
「Other Than War  」とは、「戦争」という定義外戦争と言ったら良いのか、兵無き戦争と言ったら良いのか。宣戦布告などのはっきりした意思表示のない内に既に事実上の戦争状態に入っているような状態、
 9・11もそうだが、今まさに起こっている中国が起こした尖閣諸島領海侵犯もそうである。
 産經新聞に昔インド独立軍(英国植民地からの)を残留日本軍が指導し、インド軍から感謝状までもらった筈の日本が、現インド軍の中将に、この中国に対する日本のやり方に対して苦言(生ぬるいと)を呈されていた。あぁ、情けない。

 雨の合間を見て、それとおぼしき場所で一束の線香と、作って持って行ったビールを紙コップに入れて、お数珠を持ち読経した。

…続く。

 













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