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2000年12月04日(月) |
愛しのジョン・レノン様 |
最近、なんとなく ビートルズがあちらこちらで良く聞く。
彼らが来日し 武道館でのコンサートの前座に ドリフターズが出演したことは あまりにも有名。
そこ頃に、自分でチケットを購入できて そしてリアルで聞けてたらと、何度思ったことだろう。 彼らの曲に触れたのは、あたしが中学生の頃。 どんどんのめり込んで、初めて曲を聴いて泣けたのが 『イマジン』
彼がソロ活動をして最初のアルバムは リアルすぎてだれも買ってくれなかったそうだ。 メッセージは同じなんだけど『イマジン』は 「砂糖をかけて口あたりをよくしたんだ」と ジョン自身は語っていた。
平和と愛を主張する彼が妻ヨーコと 1971年8月、ニューヨークに移り住み、永住することを決意する。 しかし当時のアメリカ政府はジョンに国外退去を命令した。 イギリスの大麻不法所持による逮捕が理由とあったが、 実際はベトナム戦争に反対して平和運動を広めるジョンを追放したかったのだ。
なぜ、愛と平和をうたうことが許されないものになるんだろう。
自分の身近で起きたことではないからと 普通の毎日を送っていながら、それでもジョンが好きと騒いでいた 自分達には、ナニも出来ないこと。。。とても、とても矛盾だらけ。
1975年にウォーターゲート事件でニクソンは大統領を辞任、 ヨーコの妊娠で国外退去命令が一時差し止められた。 そしてついに最高裁は「大麻所持の有罪判決は十分な理由にならない」として 退去命令を破棄する判決を下し翌年には、永住権を獲得。 1980年「人生は40歳から」と語り、幸福に包まれたジョンに 銃口が向けられたのは12月8日(NY時間)のことだ。 銃弾はジョンの胸に命中。帰らぬ人となった。 引き金を引いた男チャップマンが狂人であったとも、 ジョンの影響力を恐れたFBIとCIAの陰謀とも言われている。 この事件がなければ、日本からワールド・ツアーがスタートする予定であった。
泣くだけしか出来ない事。。。
平和を主張しては、いけないの?と、他を知らずに疑問に思ってたあの頃。 好きだったから、肩入れしてるんは仕方無いけど なんだか、大人って判らない!って本気で思ってた。
そんな彼の歳に近くになり 彼の歳を追い越して あたしは、ナニを主張していくんだろ?
彼の命日には、ちょっと早いけど 当日はきっとこんなこと書けないと思うから。
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