+女 MEIKI 息+
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最近、好きな人たちが、確実に一歩づつ前に歩んでいくのを感じる。その才能を見出されて硬い芽だった部分が養分を与えてもらったかのように膨らみつつある。ものすごく嬉しい、と同時に自分を振り返る感は否めない。 元々同じ景色を夢見ている分けでも、先に進もうと努力もしていないけれど。そもそも、自分の目指す先すら見えてないチンタラ野朗は他人の良い処だけを羨ましがるのが似合っているのかも知れない。 美しく泳ぐ水鳥は、水面下では足を必死でバタつかせているんだよ。なんてことを聞くけど、わたしの見た上野不忍池の水鳥は悠々と足を交互に出しているだけであった。
この努力があるからこそ、こうして立派な人になるんだよ的な偉人の伝記を読んでも「ふうーん。」としか感想を持たない奴には、感情の一片をどっかに忘れてきてしまってるのだろうか。 子供の頃は、先生の望む感想文を書くのは得意な方だったと思う。けれどもそれは自分の思った事柄でなく、あくまで評価対象のための偽文だったし、思った通りのことを書いて再提出になるより大人に褒められる方が歩きやすかっただけのことである。 大人の顔色を窺いながら、ソレを見せないようにすることは子供でも容易いものなのだ。 ある程度の歳が過ぎ、主張したいことを表現すると「ちょっと解釈が間違っていますね。」と訂正を受けたことは確かである。その言葉が、指導する側に渡されるマニュアルとのずれから生じたものだと知ったのは、もっと先になってからだ。 そういった規格からのズレを無くすように指導するのが教育なのかなあ、と当時は思った。
投げかける立場から、受け取る立場に代わって子供の持つその時の素直な感想を、正面から受けてあげたいと思っていても、指導をする集団の中ではまたそれが特異な立場を産むことにもなり統制が取れないと、注意を受けた。 結局は、感想文の提出となんら変わらない。
きっとこれは、わたしだけじゃない!少なからず他人も感じてることなんだと思いたい。
はっきりと答えの出る算数と同じように、ニュアンスだけでも答えになりうる国語も好きなのは、その名残?
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