貞子。(早矢花)のきまぐれ日誌

2008年08月25日(月) 祖母のこと。

のっけから独り言&内輪話ですんで、
読みたくない方はスルー推奨。


23〜25日に母方の祖母の見舞いに行ってきました。


わたしの祖母はもうこの夏の頭からずっと寝たきりになっていて、
それでもお家にいたんですけどね。
特に8月に入ってからは、ご飯も喉を通らなくなってしまって
心配した伯父が無理やり病院に連れて行ったところ即手術&入院。


私が今年の頭に会ったときは、
確かに弱っていたけれどまだ結構しっかりしていて
しゃべったりご飯も好き嫌いはあるけどおいしく食べていたのです。
耳はずいぶん遠くなってましたが。
それだけに今回、半年上ぶりに祖母に会いに行って、
病室で祖母を見た時すごいショックでした。
脳が揺さぶられるってあんな感じだと思う。
病室で見た祖母は、本当に小さくて弱りきっていました。


母方の祖母は、おしゃべりが好きで、おいしいものが好きで、
宝石が好きで、旅行が好きで、温泉が好きで、
お洋服が好きで、お買い物が好きで。
ちょっと気ままなところがありますが、
お料理が上手で人にやさしく世話好きな人です。
入れ歯になったとか、大好きな懐石料理が食べられなくなったとか、
徐々に歩けなくなってお買い物にもでられなくなってしまったとか、
確かに年々祖母が老いていく様子を私は見てきたわけですが、
老いるとはどういうことかを、
ひいては死期が近づいた人間の姿というものを、
祖母を見て胸が痛いほどに実感したのは恥ずかしながら
初めてでした。
父方の祖父母が死んだ時ですら、
感じなかったのにね。


体内に溜まってしまった膿を出すための管と導尿の管と
やせ細った腕にささった点滴と。
骨の形がはっきりとわかるほどに痩せた祖母の姿。
それだけでもかなり動揺したのですが、
私の姿を見て祖母が泣くように漏らした言葉
「長生きなんかするものじゃない」
と確かに聞いた時は、本当に泣きたかった。
私は祖母に長生きしてほしいと思っていたけど、
こういう言葉を言うための長生きであってほしくなかった。
たとえ、それが無意識で体の痛みが言わせたものであってもです。


祖母は半分ボケてもいて、
初日は痛みと相まって自分が病室にいることが
把握できていませんでした。
もうイヤだといって点滴をする腕をうごかしてしまうので、
何回かダメだよ、と言って止めたり。
トイレに行く必要がないのに「トイレに行く」というので、
そのたびに「先生が横になってないかんよって言ってたから
我慢しようね」と宥めて横にさせたり。
でもそれすらも私はあんまり真面目に受け止めていませんでした。
どこかで軽く流していました。
でも祖母が、「お庭の電気ついてる?」と訊いてきたり、
「金庫のカギ開けて封筒出して」とお願いしてきたときに、
なんともいいようのない、じんわりとした痛みを胸にまた感じました。
それでも、先生が回診に来たり、看護士さんが処置に来ることに関しては、
なにも疑問を感じないようでした。
記憶の整合性がそこで働くようです。
人間の記憶って不思議ですね。


二日目は伯父も母も行っておいでよと言ってくれたので、
朝、病院に顔をだしてからイベントに向かいました。
昨日と違って顔色も良くなっていて、
ヨーグルトを食べたと聞いてちょっとひと安心。
氷のカケラを口含ませてあげると、
おいしいと喜んでくれました。
でもやっぱり点滴が抜けない。
この日の祖母はほぼ一日中寝っぱなしだったようです。
夜帰ってきても寝っぱなしだった。
時折なんか笑ってたのは
痛みを忘れて。何か楽しい夢でもみてたのでしょうか。
それならよいのですが。


3日目。
膿を出すための機械が外されて管だけになりました。
食欲も出てきたようで、院内食のおもゆでなく
私たち用に買ってきた弁当を食べてました。
…そのあと看護士さんに「固形物はまだやめてほしい」と
注意されてましたが。。。
だから、やめろって言ったのに。
しかし祖母は「カレーが食べたい」と言ってました。
どんだけやねん。
それでも祖母の好きなオロナミンC(なぜだか炭酸ジュースが好き)を
飲んでました。ジンジャーエールも好きだよね。。。
その後、痛みがだいぶなくなったのと、点滴がはずれたので、
レントゲンの後車いすで軽く散歩してきました。
寝っぱなしにさすがに飽きていたのか、
院内を回るだけの簡単な散歩でも気分転換になったようです。
それでも、ベッドに横たわる際に傷に触ったらしく、
痛がってました。ごめん、うまく介助できなくて。


3日目になると、いつものように構えることができるようになりました。
たぶん体調が良くなったのが目に見えてわかったからだと思います。
それでも、祖母の死期が近いのは避けようのない事実です。
父方の祖父母が逝った時は突然の出来事だったので、
死に向かっていく様を見たりともに過ごす時間がありませんでした。
それだけに自分の中で
なにも感じるものや得るものがなかったように思います。
だけどおかしなことに、こうしてはっきりと祖母の死期が近づいている状態で、
自分があと何がいくつできるかとか、
どうしてあげられるだろうと、落ち着いて考えられるのです。
妙なものです。


父方の祖父が死んだ時は、
焼けたばかりの遺骨を通して人の死とはこういうものだと知りました。
父方の祖母の時は、
人が生きた間に抱え込んだモノの量と重さを知り、
世の中は生まれるにも死にゆくにもそう簡単のものではないことを
改めて知りました。
母方の祖父の時は、
切ろうとしても切れない人間の縁と因業を見ました。


次に私は何を学ばされるのでしょうか。
こういうこと書くと、
ナルシズムが強いのかとか
祖母にかこつけて同情を引こうとか
何かいろいろ誤解されそうですが、
私はそんなつもりはないです。
…疑心暗鬼でしょうか…。


覚悟をしておいてね、と伯父に言われましたが、
私の心づもりはまだできていません。


まだしなくていいよね。うん。


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