日記
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2001年09月11日(火) |
『世界』は広いのか狭いのか / 『マリア』 |
一体NYとワシントンで何が起こってるんだ?? 世界大戦に発展か?? これから、一体どうなるんだろうね・・・・。
怖い事がたくさんある。 狂牛病とか。 洗濯物溜まり過ぎ、とか。(明日こそ洗濯!) 私にとっては、どこか映画を観ているような外国の悪夢より、 身近で起こっている事の方が実感が持てる、というか、 要するに事態が大き過ぎて私の感覚では最早掴み切れないという事。
昨日の教習 暴風雨の中運転かと予想していたものの 結果は何のことは無い普通の小雨、降ったり止んだり、という感じで。 特に問題は無かった。
台風の夜の晩御飯は *麻婆茄子 (茄子、ピーマン、人参) *シチュー (しめじ、ブロッコリー、ホタテ、人参)
料理の組み合わせも具の組み合わせもちょっと変かもしれないけど まぁ別にいいでしょう。 ちなみに材料を買ってきて皮を剥き適当な大きさにカット、という下準備だけ私。 残りの作業は友人2人が担当。私、お土産のビール飲んでごろごろしてました。 ああ、優雅な身分。
食べながら歌番組を見ていたが 中川晃教という歌手の歌い方が物凄くキモチワルイ。 あんまりおかしいので3人とも思わずじっくり見入ってしまった。
卒論の準備の為に、夏休み前に借りてきた本が7冊。 当然1ページも目を通していない。 夏休み中にせめて半分くらいは軽く頭に入れておかないと さすがに後期始まったらやばいかな。
明日は「素敵な秋服」を買いに出掛けたいと思う。 しかし、「素敵な秋服」が似合うような自分で無いという事も充分解ってる。
今週中にやらなければいけないことがたくさんある。 教習所なんか、行ってる暇あるのかな。
浜崎あゆみは、特に好きでもないしかといって特に嫌いでもない。 あえて挙げるならばあの整形バリバリな目が不気味だ。 まだ、最初の頃(ドラマに出てた頃や、歌手として出てきた初期の頃)の方が、 可愛かったと思うんだけどね。 でもあのままだったら、普通すぎて、今ほどの人気はとても出なかっただろう。
彼女の歌の、「歌詞」はとてもいいと思う。 おそらく、誰もが心の中に抱いている「何か」に訴えかけるような、 そんな部分を持ち合わせているものだと思う。 表面的に。 つまり、「こころのなかにはいってくる」ような事はない。 そしてあまりにも狙いすぎていて不自然。つくられすぎていて。 わざとらしくて不快だ。
私は 「あの歌詞が本当に”あゆ”というひとの書いたものなのか疑わしい。」と そんな気持ちがずっと消えない。最初から。 そんな事言う度に、”あゆ信者”から、怒られるけどね。
まぁそれは極論としても、 つくられすぎた偶像を見ている感じが、心に違和感を残すのは事実。 彼女は歌手デビュー当時から、 「歌詞を自身で手掛けている」事を売り物にしていた筈なので、 私の見方が歪んでいる只それだけの事なんだろう。
カラオケでは彼女の曲は欠かせないし。 何しろ新曲でも、1、2度TVで見れば、すぐに憶えてしまえる単純なつくり。 歌い易いし。 『A Song for ××』 という曲は特に好きだ。
他にも何曲か、 好きだと思える曲はある。 だから、結局、「嫌い」ではないという事なのかな。
もし彼女が、2〜3年後、今ほどの人気は無く落ちめになっていて、 それでも歌を歌い続けていたら、 私は彼女が凄く好きになるかもしれない、なんて そんな風に思ったりもする。
現在TBS系で 『マリア』 という連ドラがある。 ちなみに内容はどうでもよい。(1回しか見てないから) それと前述の中川晃教の歌はこのドラマの主題歌(?)だ。これもどうでもいい。
『マリア』といえば、”あゆ”にもそんな曲があったね。 あ、正確には、『M』だね。 その他、hitomi、T−BOLAN 黒夢・・・・・ (後2つは古いね・・・・・)
そんな話題とは結局全然関係ないんだけど、 私の名前は、本当は 『マリア』 に99% 決定していた、筈だった、らしい。 しかしいざ出生届を出す当日になって、 「やっぱり『マリア』なんていう派手な(←?)名前じゃ、 おばあちゃんになった時、恥ずかしいかしら。」 とか 母親が思って、(このへんの思考回路が私には謎) 結局、似ているような全然違うような現在の名前に落ち着いたわけだ。
『マリア』なんてこっぱずかしい名前にされなくて本当に良かったと思うが、 (これ読んでる方で、もしいらっしゃったらごめんなさい。) しかし一体どんな娘になって欲しかったのやら。 名前が違っていたら、性格も今とは違っただろうか??
ちなみに、母親が、 「やっぱりカタカナっていうのもちょっときつそうな感じがして、 やめたのよね。」 と言っていたので 「それじゃあ、『まりあ』っていうひらがなにすればよかったんじゃん?」 と私が言ったら、 「それは思いつかなかった!思いついていたら絶対それにしていた!!」 とか言い出したので、 実はこの人あほなんじゃないかと思いつつ、 つくづく あぁ思いつかなくって本当によかった、と思った私。
しかも私が生まれた時の苗字は、 『マリア』という名前とはどう考えても合わな過ぎ(笑) 東京23区の某区名と同じなんですけどね。 今の苗字とならまだ何とかバランスも取れるものの。
ちなみに現在の名前(本名)の説明をするのは非常に難しいのだけれど、 というよりネット上では無理なんだけど、 無理矢理簡単に説明すると、
mariko の
ma ――部分は父親の名前から riko ――部分は母親の名前から
いかにも適当に取ってきて切り張りして繋げてみた、という感じだ。 いくらずっと考えてきた名前が却下されたからといって そんな単純に名前を付けて欲しくなかったと幼い頃は少し不満だったものだ。
でも今は、 亡き父の名前が、こうして自分の名前の中にちゃんと”存在”している事を とても嬉しく、そして誇りに思う。
そんな事を考える度、私は改めて いろいろなものに支えられて生きているのだと、実感する。
しかしその地盤は、驚くほど、脆い。
世界はこれから 想像もつかない凄惨な悪夢と混沌の渦に飲み込まれていくのかもしれない
けれど 私は明日「素敵な秋服」を買いに行くのだ
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