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2003年03月18日(火) なんだよ失われてるって。

3/11(月)
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を
ベローチェで読む。
歯医者
バイトは休み
活字中毒。あのクソ店長と違う世界を私はここに持っていたいのだ。

3/12(火)
バイトで失敗。花粉症。  
  さんに電話してレッドピーマンで一緒に夕飯を食べる。
ヘドロのような一日だった。
今日はアンアンと  さんの塾のバイトについて話す。

3/13(水)
6ー16(時)でバイト。店長は相変わらず。
「国境の南、太陽の西」を読む。

3/14(木)


なし


3/15(金)
「スプートニクの恋人」
小説と言う世界に逃げられる幸せ。

中、高の日記を読んだ。  へのラブレターも。

3/16(土)


なし


3/17(日)
九段下のスタバで抹茶クリームフラペチーノ。
私って食べるためだけに生きてるのかしら。

昨日の飲みは楽しかった。
私はある一部の人にしか心を開けない人間なんだなあと切に感じる。
本を家に忘れて読書できない。

3/18(月)
  さんに会う。スプートニクの恋人を読み終える。
「私たちが知っている(と思っていること)は誤解の総体に過ぎない」
とスミレは書いている。

私はスミレを好きだと思った。

私は一体何を分かっているのか。
でも彼が「分かってるよ」と言ってくれるのが
私は本当に嬉しいのだ。

(追記)
「スプートニクの恋人」でスミレは自分は書くことで思考している、
と書いている。
私にはそれがとても良く分かる気がした。

私は小説を書くような力を持っていない。
そういう意味でスミレとは才能が異なる。
でも私にとって書くことは、本当に自然な行為なのだ。
読むことよりも、話すことよりも。

中学と高校のころ、私は明らかに今とは違う人間だった。
私はすこしずつ変化して、すり減って、失われて、今ここにいる。
それでも1つの、はっきりと流れている線がある。

書くことだ。

書くことで私は私になれるんだ、と何度も思った。
だから何があっても平気だと。
ひとりで救いのないくらい孤独でも、誰も私を愛してくれなくても、
私には書くことがあるのだと。



3/19(火)


なし


3/20(水)
歯医者と昼寝。
夢の中に生きたいなと思う。
形あるものは必ずその価値を失ってしまう。

でも本当に嬉しかった。嬉しかったというその気持ちはずっと私の中にある。
それを信じるしかないのだ。

3/21(木)
本がないと何処にもいけない。
絶望?絶望とは。
希望。希望。

3/22(金)
私の求めているものは  さんの求めているものとは違う。

3/23(土)
「実のある話ができたかどうか分からないけれど」と私が言うと、
「分からないよね」と。

私は「話せてよかったよ」と言ってほしかったのだろうと思う。
でも本当はそんなこと―実のある話が何かなんて誰にも分からないのだと思う。





去年の今頃の日記。(隠してあった、紙の)
うふ。

こんなのを公開されるなんて、
いい迷惑でしょうね、当時の私は。

宗教家か思想家か、と思うような思いつめぶり。
そして語彙が村上春樹。(失われてる、とかね)

何を隠そう、
今日は日記のすすめを書こうと思ったのです。

こうして痛い文章を書いていたポエマーな日々も、
「読んだら捨ててください」と月並みな、でも可愛いラブレターも、
読み返すと学ぶことは非常に多い。
「忘れないだろう」と書いたことをすっかり忘れてること、良くあるし。
そんなものだ。

松尾スズキさんが
7年付き合っていた暴力女のことを繰り返し発表しているのを見るたび、
ああ、人生何でもありなんだなあといつも思います。

かっこつけたweb日記もいいけれど、
鍵をかけた紙の日記帳もいかがですか。
それ公開しちゃったら、鍵の意味ないけどさ。


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