2003年04月10日(木) |
決意を固めている間にも、リトルモアが休刊に 凄い業界だ |
就職活動。 1ヶ月程、ひどく後ろ向きで 何もしない日々が続いていた。
何かはしていたが、何かに向けて努力はしていなかった。 私がしていることは正しいのだという 自分を肯定する力をすっかり失っていた。
就職活動をする人で、「どうせ受からないから」という人を見ては 受からないと思うのに何故志望するのだろうと 不思議に思っていた、去年の今頃。 私にはしっかりとした夢があるし その為なら私は幾らでも何かできるのだといつも自信があった。
私が希望の仕事に向いているのかは知らない。 向いていない仕事だったら、出来ないのかもしれない。 社会の中に、私の為の天職などないのかもしれない。ひとつも。
それでもしっかりと何か努力をして、 手を抜かなかったとはっきり宣言して どこかへ向かいたいと思う。 まだ四月なのだ。 やろうと思えばまだできるのだ。
高校三年生、受験終盤のころの日記を読む。 1/28(金)
いい大学を出ること、痩せること、もしかしたら服を着ることさえすべて、人に勝ちたくてやっているのかもしれない。そんな人生でいいのかなあ、もっと楽に生きたいなあといつも思う。
私は受かるのか 生きていけるのか 完璧人生が欲しくて、でも自分が全くそこに追いつけなくて、もがいて、醜くて、かっこわるい。私はかっこわるい。
本を読みたい。文が書きたい。そうしたらまた何か、積み重なっていく気がする。
泣きたい程辛い。でもいざと言う時泣けない。胃も痛くならない。死ぬとかいって絶対死なない。分かりません。
2/13(日) 立教が終わって、落ちたらどうしようといつも不安になる。このマイナス思考をどう振払うか色々考えたけれど、誰かに打ち明けて済むものではない。こうして文に書くことで、こんなにも癒される。そのことを忘れていた。
勝てると思えば勝てると思う。あと10日くらいで入試が終わる。
「プライドだけ高くて能力が追い付かない、それで悔しがる人はかっこわるい」いつもそう言い放ってきた。でも人に勝つのが気持ちよくて、プライドを捨てるなんて一生出来ない。
まわり中の人全員が敵だと思っていた当時の私には、 こんな日記を人にみせるだなんてとんでもないことだったろう。
大学に入って、素敵な出会いがたくさんあった。 それが私の大きな転機だった。
「自分で選んで上に上がろうとしてるくせに、勝手に苦しんでるやつをすごい憎んでた」 衝撃的な一言が、変わりたいと思うきっかけだった。
私の必死でしがみついてきた狭い世界の色々なものは 一体なんだったのだろう。 自分の嫉妬や情念、どろっとした敵意をもう、 すぐにでも捨てたいと思って、大学生活を生きた。 日々、どうやってからっぽになれるか あらゆる俗っぽいもの、汚いものから距離をおいて生きられるか そのことばかりを考えた。
自意識の舞台から降りて降りて、降りまくった。 可愛い舞台 おしゃれ舞台 努力する女の子舞台 学歴舞台 作文で賞をとる舞台 降りに降りて、降りて降りて だめだーとか言いながら落ち着くところが出来て 私はそれなりに納得していた。
就職活動で私が 「色々な人の生き方を見てきたからマイペースでできるはず」 と繰り返し述べてきたのはそういうこと。
「降りる」という選択を 私はもう怖がらないよ、ということだった。
最近、何も努力をしない自分を傍観しながらこれはかっこわるいな、 とようやく気付いた。 私は、「降り」られない人間なのだ。 落ちかかってても というか最悪、最後はもし落ちてしまうとしても 必死でしがみつく努力の仕方しか出来ないのだ。
欲がないひとを、うらやましく思う。 まわりは敵だぜ!とかいって戦う私のような人間に違和感を覚える人を とても格好いいと思う。 村上春樹作品の主人公ような、嫉妬をしない体になりたい。
でも、出来ないから 3年間かけてそっちにいこうとしたけれど どうにもこうにもうまくいかないから私はまた醜く醜く どこかにぶら下がりながら上がろうとすることにしたよ。
全部だめだった時、意味のないことを 言わないようにする為の知恵くらいは、 たしかこの三年で身につけているはずだから。
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