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2003年05月08日(木) メモ

先日、成り上がるための手段としてあげた「職と手玉」計画。私が諦めたと思ったら大間違いなのよ。うふ。今度はオ・リ・ー・ブ・く・ん、な町田康、とコンパ!コンパ!!よ。昨日も今日もカツを食べたわ。全能感があるわ。負けないわ。そうよ、受かる受かる受かる受かる受かる。うかる。

ふとサークルの昔を思い出し、ああ、幹事長の家で幹事長が中村君の『ジュビリー』や奥田民生の『イージユーライダー』を弾いて、「へたくそ!」とか言われていたなあと、少し泣きそうになった。思い出について、記憶力がいいのもごくたまには得だと思う。「そこ」の空気やにおいや、笑い声なんかあんまりなくて「おめえんち狭いよばか」とかくだらないことばかり話した部屋の暖かさが、こうして、三年を経たある真夜中に私を救ってくれるだなんて、少しも考えなかった。だからってどうしようって訳じゃないんだけど。

「人生は旅である」という言葉がいかに重いか、旅をするように生きることがいかに難しいか、考えます。最近、特に感じます。と、今日送ったいくつかのメールに書いた。行き当たりばったりの生き方に憧れる。流れる時もまた旅人なり、って感じに過ごしたい。一方で、60歳までお給料がもらえる会社で知り合ったタートルネックにジャケットのかっこいいおじさんと並んで歩くのが夢だ。officeという外苑前の仕事用を名乗るカフェーに”仕事しに”入ってみたい。そんなことを本気で思う矛盾。

「心の中に辺境がある」旅を綴ったエッセイ、村上春樹『辺境・近況』のなかの素敵な言葉を以前も引用した。学生結婚してバーを始め、30を前にして突然小説を書き、デビューして売れる。好きだという理由だけで暇つぶしのようにこつこつこつと翻訳をしながら、さらにマイペースに大ヒット作を書き上げる彼の生き方。そこからは一切の自意識が感じられない。村上さんが「アメリカに住んでいて」と話しても少しも嫌らしくないから不思議だ。本人にそういう気持ちが少しもないからだろう。

ああ私は旅人のように、今を流れているだろうか。辺境を捜し求めているだろうか。ふと立ち止まって考えた。ニュース23を見ながらね。タートルネックを追いかけるのに落ち着いたら、旅に出ようと思った。きっとどこにも辺境などないけれど、私にしか見えないかけがえのない、同時にどうしようもなく不安定な世界はきっとどこまでも続いているはずなのだ。

ということを書いていたら、毎日新聞文化面の村上龍のインタビューにぶつかる。『どこにでもある場所とどこにもいないわたし』―なんだか宮台先生の著作ようなタイトルだが、主題がちょうど私が考えていた辺境にある希望云々ということにつながっている気がした。読みたい本がこうしてどんどん増えてゆく。出版不況なんて、俺の購買意欲でぶっつぶしてやるよ!と窪塚風に叫んで今日はおやすみ。結婚おめでとう。


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