2003年05月07日(水) |
坪内さんで手に取った |
私はこう見えても結構けちだし、貸したお金は返して欲しいし初任給30万の会社に勤めたいし、もし勤めてもそれを男に貢ぎたくないし、着ない服はラグタグに売ってすぐさま使えるお札にしたいしスイカのチャージが無くなったら凄く寂しい気持ちになるような人だ。だから雑誌や単行本や文庫、コミックを毎日本屋に行っては買ってしまうだめな性分であるとはいえ、一応自分として、価値のあるものにしか投資しない厳しい心をもって平積みの棚を眺めている。
そんな私が2800円もする写真集をぽんと買った。
友達とレッドピーマン(村上春樹『ノルウェーの森』でワタナベくんと緑が初めて出会ったレストランのモデルと言われている、とまた聞きした)で勝つぞ!と言いながらチキンカツをたいらげ、さて埼玉へ、レポートやりに帰るべか、と早稲田駅に向かう帰り道。通りにあるあゆみブックスという12時まで営業しているなかなかどうして気の利いた書店に入ったのが間違いだった。ずっと知っていたけれど中身を見たことが無くて、売れていることも知っていたけれど自分には縁がない、江國香織のような立ち位置に属していたはずのその一冊を、何故か今日私は開いた。運命的に。
神蔵美子『たまもの』、である。
坪内祐三が映っていた。私が受けている授業で、数メートルのところで見た、それでもとてもとても遠いと感じた坪内先生であった。
帰りの電車で一気に読んだ。どれだけ切ない写真と文字が並んでいるのだろう。もしかしたら泣くかもな、痛くてひりひりするかな。少しわくわくしながら読んだけれど、中には涙の素もきゅんとなる気持ちも詰まっていなくて、代わりにそこにあったのは「ああ、私がここにいる」という激しい共感と恐怖だった。一緒にあゆみブックスにいた友達からメールが入った。「そもそも、何故出版するのか、という動機は理解不能ですが」。返信。「私にはこういう写真集を出してしまう人の気持ちが痛いほど分かります」
ひどく私的で、スキャンダル以外の何ものでもないような作品が、「作品」として出版されることの、意味を考えてしまう。そして私のように、この写真集からスキャンダル以外の部分―非常に強く、全体を貫く力強さ、はかなさ―に深く癒される読者が日本中にどれだけいるのだろうと恐ろしくなる。
もしあなたが心を持っていて、しっかりと人を愛し嫉妬できるのなら、この一冊できっと泣ける。しかし、心を持っていなくてしっかりとは人を愛せず嫉妬することもない生き方に、今の私は憧れているらしい。
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