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2005年04月10日(日) 琥珀色

「1月になったら新年会しようね」と昨年約束したまま音信不通だった、前の彼にようやく会った。ハゲとデブが進行していた。

付き合っていた頃、私はこの人のことを分かろう、分かろうとして、「それってどういうこと?」という簡単な一言が出なかった。虚勢を張っていたのだろう。最近、素直に聞いたら答えてくれるし、質問したくらいで相手をばかにするような人ではないと気付いた。それから、話すのがとても楽しくなったと思う。

目を見ずにぽつりぽつりと話すので、こちらはずっと目を見ていた。あまりきれいで吸い込まれそうだ。琥珀色というのか、色素の薄い焦げ茶色。一点の濁りなく透き通っている。この人の心は澄んでいると分かる。



彼は昔から、「コンビニでおにぎりを買うことがだれかを傷つけているかもしれない”間違った”世界に僕らは生きている」ということを言い続けている。私はそのことを未だに実感できないままだ。

部屋の片づけをしていたら村上春樹の『アンダーグラウンド』が出てきたそうだ。「すっごいおもしろくてさ、掃除の途中なのに夢中で再読しちゃったよ」と苦笑いしていた。「今、再び読みかえしてみたら『アンダーグラウンド』は戦後日本が共有してきたひとつの価値観のお葬式、とむらいの本だったんだと気付いた。つまり『プロジェクトX』だったんだね、高校生の頃は分からなかったけれど」。

「『アンダーグラウンド』に出てくるサリンの被害者たちが「おかしい」と思い始めてから気分が悪くなって倒れるまでの時間差は、オウム事件(何が起こっているんだろう?)から9.11(これは絶対おかしいぞ!)までの時間差にそのまま当てはまる。こじつけっぽいかなあ」という。面白い。こういう、ひらめき系テーマの連結が、彼は本当にうまい。

被害者という言葉で思い出して、石牟礼道子の話をした。「石牟礼さんの小説に出てくるいわゆる”聞き書き”に見えるところって、実は石牟礼さんが考えて書いているんだって。被害者のセリフをだよ? ある意味とんでも本でしょ? でもね、それをアフリカ(の貧困などについて)の研究している子に話したら、「他者を表象する際の立場性について考えさせられた、っていうの。つまりね、彼らがどんなに第三世界の人の声を代弁しようとしても、その代弁にはどこか、我々、先進国側からの視点が入ってしまう、という壁にぶつかる。対して、石牟礼さんやり方は全く新しい可能性を示しているのではないかって」。「それって客観はないってことだよね」と彼はいう。「ひとつとして客観的な記事はない」ということを頭に置いて、いつも文章を書いているそうだ。

『苦海浄土』を貸してあげた。読んでくれるといいな、と思う。感想を聞いてみたい。



バナナは自信がないくせに自分の思うことを絶対に曲げないよね。最近はそのタガが外れて面白い人になってきたけど、とか、頭が良さそうに見せてるけどけっこうやばいよね、とか、欲望を抑圧しすぎ、とか、俺は砂糖を入れた卵焼きが好きなのを忘れちゃったの?とか色々言われた。一番昔から言われているのが、「君の話は何を言っているのか分からない」ということ。編集者としてそれは致命的でしょ、と説教される。「私の話が分からないっていうのサンバくんだけだよ、と反論したら、「みんな思ってても面倒くさいからいわないんだ。俺は言ってあげてるだけありがたいと思いなさい」と。



彼はとてもまじめだった。そしてとても弱くて、まっすぐで、音楽が好きな男の子だった。「俺は社会から外れている」と繰り返す彼を、私はとてもまっとうだと思った。

「最近ね、気付いたんだけど」小さい声で、思い出したように、いくつか自分のことを話してくれた。聞いているうちにぽろぽろぽろぽろ涙が出た。特別なことではない。人ときちんと話すという行為を、久しぶりにした気がしたのだ。


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