2005年05月22日(日) |
日曜日の夜の抽象的な話 |
日曜日の夜、すごく大変そうないろいろなもの(ひとつあげるなら美貌、もうひとつあげるなら努力せずにはいられないという才能)を宿命のように受け入れ、抱え込みながら全力で、息せき切って生きている、つまりとってもとっても大変そうで見ているこちらがしんどくなる黒木瞳のドキュメンタリー、『情熱大陸』を見たあと、歯を磨いていたら突然涙が出ていた。私も大変だ。
昨日のウディ・アレンでも泣いたから目が腫れている。
就職活動のとき「誰にも頼れない」と思ったあの感覚が突然戻ってきて、とても辛くなった。いつまでこんなに辛いんだろう。歳をとっても辛いんだろうか。それとも、だんなと子どもでもできれば辛くなくなるのだろうか。
今日、取材で一緒になった代理店の女の人は、「今、すり減るばかりで返ってくるものがないから、仕事が辛い」と言っていた。それでもきっと辞められないんだろう。たまに楽しいし、今さら逃げられないんだろう。そういうあっぷあっぷの人を、よく見る。
私が前の彼を尊敬している理由は、彼は生きるのがとても辛そうだけれど、その辛い点が私の考える「辛いこと」とはっきりとずれているからだ。私が手放さずに頑張って辛い、と思っているものを彼は何の惜しげもなくひょいと捨ててしまっている、というか、生まれつき持っていないように見える。だから、彼が生きるのが辛い、と言ったとき、「辛い辛いばっか言ってないでどうにかしろよ」と笑い飛ばせる。
こうやって自然にぽろぽろぽろぽろ涙が出て止まらないとき、だから私は彼のことをちらっと思い出して、少しだけ楽になる。今の私が大切にしている私の大部分、私を作り上げていると思われる価値が、彼にとっては何の意味も持たないことを確認するのだ。
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