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2005年05月30日(月) 温かいメール

京都にいるedaくんから温かいメールが届いた。仕事だ仕事だとあっぷあっぷしている自分が恥ずかしくなる。いつもぼっと光る帰り道の月を見上げて、お堀に立つ波の作る輝きに目を細め、夜に少しだけ開けた網戸から入ってくる風を触り、ラジオ深夜便のジングルに会わせて鼻歌を歌って過ごすのがいい。edaくんが書いてくれている、私の昔の日記もついでに付けておく。一文一文の構造は空っぽなんだけど、勢いだけで読むならばけっこういい文章。思いだけが溢れて書いてしまった、という感覚を、絶対に忘れてはいけない。





バナナさん

ご無沙汰しています。

今週末に東京外国語大学でアフリカ学会が開催されます。とうとう、僕も学会などで発表するようになってしまい今はその準備に追われています。

実は東京へ行くのは5月だけでも3度目になります。毎度毎度夜行バスで行き来していますが、なんだか馬鹿らしいです。先日初めて月島にてもんじゃ焼きを食し、意外にも美味しいので、次に行ったときにも月島へ足を運びました。あと、築地にも初めて訪れたのですが、なんだか僕にはあまり楽しい空間ではありませんでした。いい出会いがなかったからでしょうか。

最近も小難しい学術書ばかり読んでいますが、今日は少しだけ趣向を変えて沖浦和光の『幻の漂白民・サンカ』を購入してみました。昨年辺りから日本民俗学の本を読みはじめまして勉強になることが多いです。

そういえば8月末からまた1年ほど調査に行ってきます。あいも変わらずジンバブウェですが、今回は別の町の調査もしてみようと思っています。民族も歴史的な背景も異なるので今やってる町と比較しながら考えられればと。

花粉症だったからか最近のバナナさんはあまり元気がないようですね。仕事も随分と大変そうで。周りの友人たちも話をすると仕事が大変だともらします。一緒に住んでいた相方も過労と栄養失調で先日倒れたみたいだし。怖いですね。あまり頑張りすぎるのもよくないんでしょう。

実は、学会発表でバナナさんにも見せた寡婦の人たちが歌う歌を使おうかと思っています。そのことを彼女に話すとバナナさんの日記に書いてたやつやな、というので思い出してさっき読み返していました。で、うれしくなってプリントアウトもしてしまいました。

と、まぁとりとめもない話をとりとめもなく終ろうかと。お忙しいのに、内容のないメールを読ませてしまい申し訳ないです。

それでは、お体にお気をつけて



p.s. 黒蘭がなくなったことはかなりの衝撃でした。。





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2004年06月25日(金) ずっと書きたくて言葉にならなかった。

先週の日曜、アフリカのジンバブウェにフィールドワークに行っていた友達が帰ってきた。新宿西口で飲む。

「バナナさんはアフリカについて誤解しすぎ」と怒られながら、色々と貴重な話を聞く。
彼はジンバブウェの都市に広がりつつある寡婦(未亡人)のコミュニティについて研究しているという。(なんてマニアック!と思ってしまったのだけれど。)



「ジンバブウェでは伝統的に、女性は(男性の)財産、所有物という考え方があったんですね。だから夫が死ぬと、寡婦になった妻は夫の兄弟に相続される制度があった」「えーひどい。そんなの嫌だよねえ。だんなは好きでもそのお兄ちゃん好きになれないよ」。「でもね」私の言葉を遮り、彼は続けた。
女性が何も(土地や家などを)所有できないコミュニティにおいては、寡婦相続の制度はひとつのセイフティネットでもあった。それは社会を維持するために必要なシステムだったという。

「最近はそういう制度がないから、夫を失った妻は途方に暮れてしまうわけです。僕は、その寡婦たちが、寡婦同士でより集まってコミュニティを作っているというのを聞いて、面白いな、と思ってね。それでアフリカに着いてから、急に研究テーマを変えちゃったんです。」
「彼女たちは基本的にキリスト教徒なので、寄り集まってお祈りをしたり、皆でピーナッツバターを作って売ったりしてる。コミュニティは、(経済的な、というよりは)精神的なよりどころという役割が大きい」。



私はなるほどねえ、とうなってばかりいた。世界には私の知らないことがなんて沢山あるんだろう、と思う。色々質問をした。



彼は読んでいる学術書の量もやはり私などとは比較にならず、ジンバブウェの政治がどうなっている、世界の南北問題はどうなっている、そして寡婦はどうやって生活している、という広い視野と狭い視野、両方の眼でものごとを見つめる眼を持っている。

しかし結局のところ、一番感心させられたのは、やはり実際に見て、会って、話して、一緒に働いた人にしか分からない寡婦たちの生活についてであった。フィールドワークをしていた10ヶ月の間に、仲のよかった寡婦が2人死んだという。

「数日前に話したばかりの人で、病気も回復に向かっていると思ってたからだいぶ落ち込んだ。でも、土葬で死に顔を見ても涙が出ないんですよ。寡婦コミュニティの人も誰も泣かない。慣れざるを得ないんだろうね」。

「辛いんだろうね」哀れんだ顔をした私に、彼は冷静に答える。「僕はその人たちと一緒のうちに住みこみで研究させてもらって、ひとりひとりにインタビューしたんですよ。何が一番しんどいですか?って。聞けば、やはりお金がないことだと言っていた。でも、けっこうなんだかんだでやってるよ。口では『まったく苦しくてねえ、困るわ』とか井戸端会議してるけど、それは日本と一緒。辛い辛いってふさぎこんだままやってかないわけにいかないから、古着を売ったりかごを作って売ったり、まあどうにかご飯を手に入れてみんな楽しく生活してますよ。そんなもの。あたりまえだけど一緒ですよ、僕らと」。



彼が撮ってきた何千枚という写真の一部を見せてもらう。都築響一が「写真の素晴らしさは撮る側の被写体への好奇心で決まる」というようなことを書いていたのを思い出した。彼と寡婦とのいい関係が、画面からにじみ出てくる。本当にみんな、いい笑顔をする。「写真を撮ってもらうから」とわざわざ着替えて化粧をしてから出てきた人もいたという。私と一緒だよ、と笑ってしまった。



この文章を綴りながら、それで私は何が書きたいのだという自問自答を何度も繰り返し、結局友人に勧められた新書、『グレート・ジンバブウェ』を面白く読むしかない自分を少し情けなく思ったりもする。ただ、「物質的に豊かになった我々は、発展途上国の人達のような生きる喜びを忘れてはいないだろうか」といったようなまとめにはしたくないことは確かであったはずなのに、寡婦が歌う賛美歌(動画で見せてもらった)は最近聴いた音楽の中で一番泣きそうになったし、ピーナッツバターを作った後の黒くて脂ぎった彼女らの掌を写した写真は、勉強のために買ったおしゃれ写真集の何倍も私の心に響いてきたのである。



なぜ、カメラを向けられて微笑んだ彼女たちはあれほどに、生気に満ちているのだろう。人の生活とは、政治や思想や書物をはるかに飛び越えて、なんと不思議で、素敵なものなのだろう。



クーラーのきいた部屋でこんなことを書いて、書くことで満足している自分は何だろう。書くことで満足している自分は何だろう、と書くことで満足している自分は、何だろう。





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