2006年02月11日(土) |
石蕗の花とカトウさん |
私の母の高校・銀行員時代の友人で、カトウさんという人がいる。お会いしたことはないが、向田邦子のような女性だと、勝手に私は想像している。
旅行が趣味の、教養豊かな女性だ。本の虫でもある。しかし気取ったところは全くない。おしゃべりが大好きで、「ねえあなた、あの本が良かったわよ」と母によく電話をかけてくる。話し始めると止まらないらしく、毎回1時間以上の長話になる。
努力家で、英語も独学で修得した。母と同じ高卒にもかかわらず、行員時代は外貨の窓口で外国人の対応をまかされていた(母曰く、当時の女子としては異例の出世だったという)。
文学やら歴史やら、あるいは世界各国の文化、文明などについて、彼女が知らないことはない。彼女は今から20年ほど前、イランに旅行に行った。周囲の誰もが「イランなんて何が面白いの?」という顔をした。彼女は特にその地を選んだ理由は述べず、その旅行を楽しんだと母に葉書をくれた。母はあとから「イランにはメソポタミア文明の発祥地があるわよね。カトウさん、きっとあそこに行ったんだわ」とはっとしたように言っていた。彼女に話すと、四大文明のうち3つはすでに訪れており、「インドがまだなのよ」と笑っていたそうだ。
彼女は40歳を過ぎても結婚しなかった。
「恋のようなもの」を経験しなかったわけではない。30歳の頃、旅先で博学な老紳士と知り合った。年齢は彼女より30以上も上であったが、これほど刺激的な会話ができる男性は初めてだった。銀行の同僚も、見合いする男性たちも、漱石や島崎藤村、中上健次には興味がなく、海外といえば「ハワイですか?」と聞かれた。退屈だった。彼は違った。定年退職後、彼は世界中を旅しているという。彼女が当時興味を持っていた、東欧諸国を訪れたときの話を、たくさんしてくれた。
旅が終わり、お礼の手紙を書いた。返事が届くのを楽しみにしていた。突然、奥さんだという女性から電話がかかってきた。「主人に手紙を書くのは、やめていただけますか」。それ以来、連絡はとっていない。
当時「独身貴族」という言葉があった。「カトウさんはもう結婚しないわね。彼女に合うような高い教養のある男の人って、なかなかいないのよ」。母は言った。
ところが10年前、突然葉書が届いた。「結婚しました」。カトウさんは、ヤマモトさんになっていた。相手は、バツイチで5歳年上の会社員だった。大手ゼネコン勤務で、収入は申し分なかった。前の奥さんとの間に3人の子どもがいた。カトウさんは、「完全に縁を切ってくれたら結婚する」と言い、相手の男性は慰謝料の支払いを前倒しで終了させ、籍を入れた。
しかし、実際に生活を始めてみると、カトウさんの日常は180度変わってしまった。夫は極端な亭主関白だった。海外旅行が大嫌いで、妻が旅行をすることも禁じた。食事は徹底した菜食主義。外食は決して許されず、休日の昼食でさえご飯、味噌汁、おかず3品以上を作るよう命令された。カトウさんの自由な時間は、夫を送り出してから帰宅するまでの数時間。読書だけが何よりの楽しみとなった。
今年も、カトウさんから母へ年賀状が届いた。「運動不足で骨が弱ってしまったので、あなたを見習って散歩をしています」。年賀状、寒中見舞い、暑中見舞い……彼女は折々の手紙を欠かさない。100人以上に送る年賀状でさえ、墨をすって1枚1枚手書きで完成させる。
今日、私はずいぶんひさしぶりに、中目黒駅に降りた。目黒川沿いの「カウブックス」を覗いていたら、欲しかった古本が見つかった。すでに絶版になっており、出版社にも在庫がないと言われた1冊だった。広津桃子『石蕗の花』。カトウさんが一昨年の今頃、母に電話ですすめてくれた本である。一人の女性の人生を思いながら、私はページを繰っている。
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