

母の畑を初めて見せてもらう。りかちゃんが本作りの参考に母に話を聞きたいというので、これは良い機会だと思って、私もとことこついていくことにしたのだ。実家から徒歩1分の距離なのに、どこにあるのかも知らなかった。
母は6年ほど前から趣味で畑を始めた。 私が高校生のころだったか。
収穫は1年中ひっきりなしだ。春にはじゃがいも、夏にはなす、トマト、ピーマン、すいか、秋・冬にはキャベツ、白菜、ほうれん草……スーパーで野菜を買うことはほとんどなくなったという。
実家にいたころは、当たり前のように毎日食卓にのる野菜を食べていた。東京に来て、スーパーで買うアスパラが、キャベツが、ブッロコリーが、おしなべてまずいことに驚いた。
「取材される」ことになど慣れていない母は、自分の言いたいことを、時には質問に対してとんちんかんに、時には早口に熱く語った(りかちゃんはそんなおばさんにもいらいらせず、優しくて、とつとつと質問を続けてくれた)。
「とにかくね、雨が降らないとだめなのよ。このタマネギ元気ないでしょう。これね、雨が降らなかったからなの。それとね、キャベツなんかは青虫との戦い。手で取るのよ。青虫を。たまにお裾分けした野菜の中に虫が入っているみたいで、そうすると相手の人はもういやになっちゃうみたい。私なんかもう慣れたものだから、平気で食べちゃうんだけど」
せっかく畑に来たのだから、と母は小松菜やキャベツや、にんじんを紙袋にいっぱい収穫して帰った。家の水道で洗って、それを私とりかちゃんに分けて持たせてくれた。
この人は私が見たことのない、朝の光や、雨上がりの葉についた水滴を知っている。私がかいだことのない、葉が腐ってできあがった黒々とした土の臭いを知っている。一粒の種が、青々とした柔らかい緑の葉になって、それがやがて枯れ、花を付ける過程を、特別な思いなしに見つめている。
母は埼玉の片田舎で野菜作りをしながら専業主婦をしているけれど、その生活は昔から少しも「スロー」などではなく、いつも「忙しい、忙しい」と部屋の隅を掃除している。東京で色々な人に会い、色々な人に話を聞く仕事をしているのに、彼女の前で私は、いつもいつも、自分の世界の狭さを思い知らされることになる。
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