坂フェチのバナナさんへ
そうですか、『耳をすませば』の舞台は、聖蹟桜ヶ丘でしたかー。 いきなりですが、僕が東京に住みだして「自分は田舎者だあ」と強烈に感じたのは大学の桜並木を見た時でした。学芸大のキャンパスは元々は旧陸軍の技術研究所で、視察に訪れる天皇陛下を迎えるために正門への道に盛大に桜が植えられたそうです。 北海道には桜がほとんどありません(知ってましたか?)。函館の五稜郭のようないわゆる「名所」はいくつかありますが、東京のように街並みや人々の生活に溶け込んだ桜ではないです。また、何というか、先ほどの天皇陛下のエピソードのように、東京の桜には日本の歴史をど真ん中で見守ってきた貫禄があります。

新宿や渋谷については、「あー、はいはい、ススキノのをデカくした感じね」と片付けることができたのですが、桜に関してはもう全くどうしようもない。東京と北海道の歴史的・文化的な隔たりを感じて、というと大げさかもしれませんが、羨ましい、悔しい、それにしても美しいという、何とも妙な気持ちになるわけです。でも、決してイヤな気持ちではないです。 実は、『坊ちゃんの時代』を読んでいて同じような気持ちになりました。まだ途中ですがいい本ですね。 桜と、それと坂。

あれからふと思い出したのですが、中目黒に蛇崩(じゃくずれ)という坂がありました。真夏の土曜日の昼間、仕事の合間に先輩と坂の下の銭湯に行った。とても気持ちが良かった。 国分寺の坂は急ではあるけど本当に何の変哲もない住宅街にあります。坂の下にキャプテンの部屋があったので、よくヒコと一緒に自転車で上ったり降りたりしていました。自転車を漕ぐのが面倒な時は手で押したし、意味なく全力で上ってみたりした。懐かしいです。 僕の中で坂は必ずと言っていいほど思い出と結びつきます。当時は別にどうとも思っていなかった他愛のないことが坂の景色と一緒に温かく蘇るのです(ヒコは多分、あの坂について何の感慨も示さないだろうけど)。

バナナさんが『耳をすませば』の景色に惹かれるのはとてもよくわかります。僕の場合、坂を糸口に知らない誰かの思い出を共有できる気がしてくるのです。東京に来て坂が多くてホッとしたのはそういうことなのかなあと、思ったりしたのですがどうでしょうか。 聖蹟桜ヶ丘で感動してカメラのシャッターを押すバナナさんを思い浮かべると、ちょっと楽しいです。 ではまた。 2005年6月29日 パンダ

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