橋本裕の日記
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昨日の掲示板に北さんの「言語の力について、橋本さんはどう考えていますか」という質問があった。そこで、以前に書いた「人間を守むもの」の第2章「精神と言語」にある「言語と恩寵」の中から、一部引用しよう。この文章を書いたのは4年ほど前だが、今も私の考え方はそれほど変わっていないからだ。
・・・・・・ 第2章 精神と言語/言語の恩寵 ・・・・・・・
・・・しかし言語能力の恩寵はさらに深いものがあります。それは問題解決のための実際的な必要を満たすだけのものではなく、単にコミュニケーションの道具でさえもないのです。言葉は私達に思索する喜びを与えてくれます。言葉によって我々は世界を認識し、自己をも認識します。パスカルが言うように、我々は広大な宇宙の中のでこの束の間を生きる寄る辺なき存在に過ぎませんが、大切なことは我々はその事実を知っているということです。
「宇宙はその無限の広がりで私を包む。しかし、私は宇宙について考えることができる。私は考えることによって、宇宙を包む」
パスカルが言うように、「考える葦」である我々は宇宙と自己について静かに思索することが出来ます。それが出来るのは我々が脳と呼ばれる千数百グラムの特別に組織された物質を持っているからです。考えて見ればこれは不思議なことです。どんな壮大な思想も、美しい言葉も、人間のこの狭小な頭蓋骨の穴蔵で生まれます。そしてこの狭小な空間の一握りの物質が、この広大な宇宙について思索し、宇宙の神秘を讃えるのです。この事実に勝る神秘がこの世にあろうとは思われません。
さらにもう一つ、言語には大切な働きがあります。それは言語はもっとも奥深いところで我々の存在を規定している隠れたシステムだということです。その事についてはすでに述べたとおりですが、この言語の隠れた働きについては何度強調してもし過ぎることはないでしょう。
言語は我々の意識に秩序をもたらします。我々の精神のあり方は言語の構造に依存しているのです。言語は論理と呼ばれる普遍的な構造によって、我々の精神にある客観性と合理性を与えます。この客観性と合理性こそ、真理と呼ばれるに値するものの土台であり根底なのです。
人間を人間たらしめているものは言語であり、人間をその根底で支えているものは言語だと言えるのです。しかし我々は普段余りこのことを意識しません。なぜなら我々にとって本当に貴重なものは、しばしばそれがすでに与えられているというだけで等閑視されがちだからです。たとえば水や空気がそうです。そしてこの地球そのものがそうです。太陽もそうですし、我々の手足や健康もそうでしょう。言語も又そうしたものの代表だと言えます。
言葉の中には人類の悠久の歴史が宿っています。それは何者にも勝る生きた文化財であり、先人達の豊富な経験と知恵の宝庫です。人間は言葉を所有することによって、人類史の成果を彼の個人史の中に取り入れます。そのことによって、我々の肉体が三十億年を越える生命の歴史の産物であるように、我々の心も何十万年に及ぶ人類の遺産の相続人となるのです。
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