橋本裕の日記
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2001年03月31日(土) |
資源と資金の浪費をやめよ |
「失われた10年」という言葉をよく聞く。政府はこの10年間に130兆円の公的資金をつぎ込み、しかもゼロ金利という驚くべき金融緩和政策を続けてきた。ところが、日本経済は好転しないどころか、ますます悪化した。銀行の不良債権は31兆円にふくらみ、政府の財政赤字は660兆を越えて、いまや700兆に迫ろうとしている。
政府が行うべきことは何か。一口で言えば、それは「資源と所得の適正な再配分」ということである。この観点から考えると、この10年間の低金利政策や膨大な公的資金、公共事業費の投入など、政府はあらゆる手をうちながら、なぜ経済は回復しなかったのか、その理由がよくわかる。
つまり、この10年間に政府がやってきたことは、生産性の高い産業で得た利益を、税金や低金利、国債の発行というかたちで吸い上げ、これで生産性の低い業界(金融、流通、建設)の赤字を補填してきたのである。この結果、たとえば建設業従事者はいまだに660万人(全体の就業人口の1割)もいる。金融や流通も非効率な体制がそのまま温存された。
この10年間政府がやってきたことは、まさに「資源と所得の不適正な再配分」であり、経済改革に逆行することでしかなかった。その結果、経済の改革は一向に進まず、かえって伸びるべき産業の足をひっぱって、今や共倒れの危険がささやかれている。
それではこの10年間、政府は何をやるべきだったのか。言うまでもなく「資源と所得の適正な再配分」である。具体的にそれは何かと言えば、教育に投資することだと言いたい。ダムや橋や空港を作ることよりももっと大切なことがある。それは「人を育てる」ことだ。
おりしも、民主、社民、共産の野党3党が衆議院に提出していた「30人以下学級法案」が、与党議員の反対で否決された。その理由は「財政難で財源がない」ということである。与党議員たちは本当の公共事業が何かと言うことが分かっていない。あるいは分かっていても、利権や票に結びつかないことには意欲が持てないのだろうか。もしそうだとしたら、もはや日本の前途に希望は持てない。
教育を国家戦略の第一のものと考えることが出来るかどうか、優秀な政治家と堕落した政治屋を見分けるリトマス試験紙はこれである。21世紀の日本を支えるために、「資源と所得の適正な配分は何か」について、政治家のみならず私たち自身も真剣に考えるべきだろう。
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