橋本裕の日記
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2001年05月17日(木) |
リヴァイヤサンの消える日 |
ギリシャの都市国家ポリスはその中心にアゴラと呼ばれる広場を持っていた。午前中はこのアゴラで市場が開かれ、午後になると自由な市民の社交の場となり、政治や哲学などの討論や集会が持たれたりした。ポリス国家が生まれたのは、このアゴラからだと考えられている。
ギリシャに限らず、古代の王朝は多くは都市から生まれた。そして都市の前身はなにかと言えば、「市場」である。日本でも少し大きな町の事を「市」と呼ぶ。「四日市市」や「八日市町」などという市や町があるが、たとえば「一宮市」にしても寺社の門前町であり、これは寺社の前に立った「市(いち)」が発展してできたものである。同様なことは大阪や江戸をはじめとする城下町にも言える。
これまでの教科書では、農耕のための大がかりな灌漑事業の必要が強力な王権を生み出したという説が主流だった。エジプト、メソポタミア、インド、中国など古代王権は大河の流域の農耕地帯に展開している。農耕文明の集団主義的性格が国家成立の基礎条件であるという考え方は説得力がある。しかし、こうした国家観は歴史の現実を必ずしも正確に写しているとは限らない。
農業革命によって、過剰な生産物が生まれ、農民はこの余剰生産物を他の産物と交換するために、物々交換の場として作られた「市」に持ち込んだ。やがてこれを仲介する階層があらわれ、彼らが「市」の実権を握り、農耕集団をも支配するようになったと考える方が歴史の実態にあっているのだろう。
ユダヤの民話では、最初2匹のリヴァイヤサン(旧約聖書に出てくる恐竜のような怪物)がいたが、ます一匹が神に滅ぼされ、ついで残りの一匹が滅びたとある。二匹のリヴァイヤサンというのは、東西に分裂したローマ帝国を考えるとわかりやすい。
あるいは時代が下って、冷戦時代のアメリカとソ連を考えれば、いっそう分かりやすい。1989年のソ連が解体はまさに一方のリヴァイヤサンの死である。のこる一匹はアメリカだとしたら、これもやがては解体するのだろうか。
リヴァイヤサン(国家権力)は「市場」から生まれたが、彼が凶暴になったのは、一口に言えば、市場を巡る縄張り争いに勝つためである。いわばリヴァイヤサンの正体は市場の守護神であり、用心棒である。そこでもし今後世界で「市場のグローバル化」が進むと、そこにただ一匹残ったリヴァイヤサンは、もはや戦うべき敵がいないという事態に直面する。
ユダヤの民話では、リヴァイヤサンの死骸は、人々の食料となり、住居の材料にさえなっている。市場から生まれたリヴァイヤサンは、ふたたび市場の世界の中に姿を消して、しかも栄養になる。恐竜が亡びた後の国家なき世界の、理想的な姿がそこにある。しかし、リヴァイヤサンがそう簡単に自然消滅するとは思えない。断末魔の苦しみから、世界を道連れにして地獄に落ちようとするかも知れない。
私は去年「経済学」の本をいくらか読み、自分で考えて、納得したことをHPに発表した。難解だった経済学も「市場」という視点から見ると、驚くほど分かりやすい。ともすれば神学論争めいた議論に陥りがちな「政治学」だが、それも見方を変えれば理解不可能ということではなさそうである。政治学が難解なのは、学者たちが専門性の罠に陥り、権威主義的な思考にとらわれて、国家や権力の起源について素朴な問いを発することを忘れているからではないだろうか。
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