橋本裕の日記
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「タイム」の4月号が33ページもの日本特集を組んでいるという。巻頭記事はずばり「なぜ日本人は他人にどう思われるのかを気にするのか」だそうだ。「日本は中国がアジアの中心であった時代には、常に中国が自国をどう見るかを気にしていた。文化に中心が西欧に移っていると気付いた日本人は、今度は西欧ばかり気にするようになった」という。
明治時代の「文明開化」も、「肝心の西洋人の目から見れば、自国の文化の伝統をおろそかにし、西洋のものまねをするという卑屈で滑稽なものだった」と指摘し、「力の勝った文明のモノを喜んで受け入れようとする態度」について批判的に書いている。
日本人といえば物まね上手というのが、彼らのステレオタイプ化されたものの見方になっている。こうした批判は昔からあったようで、明治時代、ドイツに留学した数学者の高木貞治は指導教官だったクロネッカーから「東洋から黄色い日本人がやってきた。こんどは猿がやってくるに違いない」とからかわれたという。
こうした日本人に対する軽蔑は、「物まね=盗み=ずるい」という文脈から生まれるのだろう。しかし、こうした文脈は日本人にはあまりない。日本では学ぶということは決して悪いことだとは考えられていない。むしろ先人や隣人から学ぶことは何らやましい行為ではなく、むしろ向上心の現れであり、賞賛されるべきことである。
長い間日本は文化の辺境に位置した後進国であり、中国や西洋から学ぶことで精一杯だった。NHKの平野次郎さんが番組で、アメリカ人の知人が口にした「日本は何も世界に貢献していない。地上から日本が消滅しても、我々はなんら不都合を感じることはない」という発言を紹介していたが、大方の世界の人々は同じような感想を持っているのではないだろうか。
しかし、こうした判断はいささか性急すぎると思う。日本は鎖国を解いて、世界の仲間入りしてまだ200年と経っていない。学び上手の日本の文化が、やがて世界に貢献する日がないとは限らない。それに、西洋文明なるものも、その源をたどればギリシャ文明である。科学も文化も政治も経済も、古代ギリシャの物まねであることに変わりはない。
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