橋本裕の日記
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2001年06月02日(土) ケネディ暗殺と国家の威信

 1963年11月、ケネディ大統領は遊説先のダラスで白昼公然と暗殺された。そして容疑者のオズワルドもまた二日後、刑事や看守に囲まれ、ダグラス警察本部から連れ出されようとしていた時、用心棒あがりのルビーという男に撃ち殺された。

 オズワルドの未亡人は、1988年にオズワルドが専門的訓練を受けた、FBIかCIAの工作員だったと思うと、インタビューに答えている。そして、オズワルドを殺害した酒場経営者のルビーは以前シカゴに住んでいて、マフィアの組織と関係があったことが分かっている。

 これらのことから、ルビーもオズワルドと同じく、ケネディ暗殺に何かの関係があり、オズワルドがケネディの直接の暗殺を命じられ、その後オズワルドの始末を命じられたルビーも、口封じに殺されたのではないかという疑いが持たれている。この他、CIA関係者の中にも、不審な事故死をするものがあとをたたなかった。

 当時ケネディ大統領はさまざまな敵に囲まれていた。ケネディは暗殺の一ヶ月前にベトナムからの米軍完全撤退を命じて、軍産複合体の総反発を受けていた。黒人に平等の権利を与える公民権法を制定しようとして、白人優越主義者らの激しい反感をかっていた。

 さらに、CIAが関与したキューバ侵攻やマフィアを使って行われたカストロ暗殺計画について大統領は激しい口調でCIAを非難し、CIAの廃止さえも口にしていた。弟のロバート司法長官にはマフィアの徹底的摘発を命じていた。

 ケネデイ大統領はこれら多くの敵から命をねらわれていた。亡命キューバ人、マフィア、産軍複合体などの他に、CIAやFBI、そして何と大統領職をあらそったニクソンやケネディのあとをついだジョンソン大統領さえ、状況証拠からすると暗殺者容疑者リストの中に加えるてもおかしくないのである。

 例えばニクソンは暗殺の前日まで、ダラスにいた。しかもニクソンはジャック・ルーベンスタインと名乗る男から情報の提供を受けていたというFBIの文書が残っているが、この謎の人物がルービーであることが分かっている。

 また、タカ派のジョンソンはケネディとそりがあわなかった。ケネディは次期大統領選では、ジョンソンを副大統領から外すと明言していた。このジョンソンを副大統領に推薦したのは諜報活動によってアメリカ政界に隠然とした勢力を保っていたフーバーFBI長官だが、ケネディは彼にも辞職を勧告していた。

  歴代の大統領の元でFBIを率いてきた超保守派のフーバーは、進歩派インテリの代表であるケネディとその弟のロバートを蛇蠍のごとく嫌っていた。ケネディが暗殺された直後、長官室の壁にはジョンソンの肖像が他を圧するように掲げられた。そしてその肖像画には「これ以上のない人物、フーバー君へ。30年来の友人より」というジョンソンの署名がしてあったという。

 ケネディ暗殺で昇格したジョンソン大統領は、さっそくウォーレン合衆国最高裁長官と各界の有識者6人の7人からなる「ウォーレン委員会」を組織し、国家の威信をかけてこれらの疑惑の解明に乗り出したが、これはまた自らの身の潔白をあかしすることでもあった。

 そして翌年、早々と「ウォーレン報告」なるものが出されたが、そこで強調されたのは、「ケネディを暗殺したのはオズワルドの発射した3発の弾丸がすべてであり、彼の単独犯であって、陰謀は一切なかった」ということである。アメリカの政・財・官、それから言論界のエリート層が守ろうとしたもの、それはアメリカという国家の威信だった。

 ウォーレン委員会は撃たれた弾丸を三発というが、警察の録音テープでは、七発銃撃音が聞かれるという。そのほか、無数の疑惑をこの報告は無視している。1993年の世論調査によると、89パーセントの国民がオズワルド単独犯行説を疑問視しており、そして4割近い国民がCIAの関与を疑っているという。

 ところが、この事件を再調査した方がよいという声は聞こえない。なぜかといえば、国民もまたケネディ暗殺事件の背後に隠された真実があまりに恐るべきものであることを知っているからだ。史上最大の民主国国家、法治国家としてのメンツと誇りを守りたいという気持が、真相解明を求める気持を片隅に追いやってしまう。

 ケネディ大統領は死んで英雄になった。歴代の大統領のなかでナンバーワンの人気をほこっている。しかし、彼自身にも数々のスキャンダラスな側面があった。たとえば彼は弟のロバートにマフィア撲滅を命じておきながら、マフィアの頭領と交際し、なんと愛人まで共有していた。愛人ジュディス・キャンベルがホワイト・ハウスにかけた電話は約70回に上り、これらはすべてFBIによって確認されていたという。

「ウオーレス委員会」の7人の委員のなかに、後の共和党大統領になったフォードがいた。当時下院議員だったフォードはフーバーFBI長官の長年の友人であり、フーバーが委員会に送り込んだトロイの木馬であったという。ケネディ大統領の暗黒面を知り尽くしていたフーバー長官が望んだもの、それはそうしたおぞましい真実を隠蔽し、アメリカという国家と大統領の威信を守ることであった。

 フォードは委員会の状況を逐一FBIに通知し、オズワルドを殺害したルビーがワシントンに尋問場所を変えて、身の安全を保障してくれれば「真相」を語ってもよいと繰り返し訴えても、これを一貫して断った。そしてルビーはダグラス郡拘置所に収容されている間に、突然ひどい咳と吐き気におそわれて不審な死をとげている。

 このたびフォードがケネディ大統領図書館財団から「勇気ある人々」という賞を贈られたという記事を読んで、私の頭に去来したのは、以上のような「ケネディ暗殺」をめぐるおぞましい出来事であった。

(参考文献)
「ケネディはなぜ暗殺されたか」(NHKBOOKS 仲晃 著)
「ケネディ暗殺関係年表」


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