橋本裕の日記
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2001年06月04日(月) 個人主義の幻想

 イソップ物語に、「仔ヤギとオオカミ」の話がある。安全な家の中にいた仔ヤギが、オオカミが通るのを見て口汚く罵った。するとオオカミは仔ヤギを見て、「俺に悪口を吐いているのは、お前ではない。お前が立っている場所が言わせているのだ」と言い返した。
 
 口にする言葉だけではなく、人間の行動の多くは、彼の立っている場所のなせる業だと考えられる。時と場所が、ときには力のある者よりも、力のない者を強くすることは、よくみかけられることだ。

 昨日は「国家主義」の幻想について書いたが、それでは「個人」が絶対かというと、そうではない。彼の行動は彼が置かれている立場によって影響される。私たちは社会から多くのものを恵まれているのであって、彼個人に由来するものは本当のところあまりない。「個人」が普遍的で実体的存在であるというのも、思い上がった幻想かもしれないのである。

 それでは、私たちが依拠すべき足場は何かということになる。そうした確固とした足場があるというのが、そもそも幻想なのだろうか。永遠なものは私たちの中にも、私たちの外にもなくて、この世に存在するものは自らも含めてすべて相対的で、一時的なものなのだろうか。

 おそらく人生にあらかじめ決められた目標や意味などないのだろう。そしてそのゆえに、私たちは自らの人生の意味や目標を自分の手で創り出すことができる。世の中は諸行無常である。しかしこのことは何も悲しむべき事ではない。兼好法師が言うように、さだめがないからこそ、もののあわれがあって、生きていくのがたのしい。


橋本裕 |MAILHomePage

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