橋本裕の日記
DiaryINDEXpastwill


2001年06月05日(火) 官僚代弁する記者クラブ報道

 田原総一郎さんが、ハンセン病についての新聞報道が横並びだったことについて、雑誌(週刊ポスト)のコラムで批判していた。私も同じ感想を持っていたので、読んでいて我が意を得たりと思った。

 23日の夕刊で各紙は「裁判控訴決定」を報じた。ところがこのあと、小泉首相の記者会見があり、翌日の長官の見出しは「控訴断念」という見出しが各紙の一面トップに並んだ。

 小泉首相も福田官房長官も「断念」という言葉は使っていない。ここは「控訴しないことを決断」という言葉がふさわしいのではないか。私はそう考えて、24日の日記に「小泉首相の決断により」と記した。

 なぜ新聞は一様に「断念」という言葉を使ったのだろう。それは記事を書いた新聞記者の勝手な判断だろうか。もしそうだとしたら、どこか一社くらい「決断」と報じてもよさそうなものである。

 田原さんは「断念」と「決断」はまるで違うと指摘している。「断念」の場合は、小泉首相はもともと控訴したい意志を持っていたことになる。これにたいして、「決断」という言葉は、障害を乗り越え、意志を貫徹した前向きの姿勢が感じられる。実際のところ、小泉首相の胸中はいずれだったのだろうか。

 新聞各紙は前日の夕刊で「決定」と報じたので、「断念」と報じざるを得なかったのかもしれない。しかし、それにしても、この「決定」とは誰の決定だったのだろうか。問題点はまさにここである。

「控訴決定」という情報を流したのは官僚サイドであろう。そこには首相は自分たちのシナリオ通りに動くものだという奢りがある。ところが、そうはならなかった。そこで「断念せざるをえない」という無念の表現になったと考えられる。

 つまり、新聞報道はまさに官僚の立場を代弁している。新聞記者たちのあいだには長年の習慣でこうした官僚よりの発想がしみついているのだろう。記者クラブ体制で培われたお上依存の旧態依然とした報道の体質と姿勢が、日本の政治改革の行方を阻んでいる。


橋本裕 |MAILHomePage

My追加