橋本裕の日記
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2001年08月12日(日) 縄の文化

 少年時代、私は父とよく山仕事をした。冬が終わって、まず最初にする仕事が、木起こしである。雪の重みで倒れた木を起こして歩くのだが、これが大変な重労働だった。

 木を起こすときにも、起こした木を固定するときにも縄を使った。木を固定するのに針金やロープを使うと、またいちいち外して歩かなければならない。曲がった木は反対側に反らせて置くが、いつまでもそのまましておくと今度は木が反対側にまがってしまう。適当な時間で腐って土に帰る縄は、この点理想的で、しかも木や森を痛めない。

 山のはいるときには背中に縄束をいくつも背負った。父と二人で5束ほども背負っただろうか。この縄束がなくなるまで仕事が続く。背中の縄束が段々軽くなり、縄の残りが少なくなるとほっとした。しかしそのころは、もう口を利くのも大儀なくらい、体に疲労がたまっていた。

 起こした木を固定するために、すばやく縄を結ばねばならないのだが、私の結んだ縄はすぐにゆるんできたりして、父の叱声を浴びることになった。縄一つ結ぶにも技術があり、手先の器用でない私は失敗ばかりしていたような気がする。

 父はもともと山育ちなので、縄の扱い方がうまかった。縄結びもそうだが、縄で即席の籠のようなものを作ってそこに山の収穫物を入れたり、縄ばしごを作って高い木に登っていく。ただの縄だが、これが使いようでさまざまな生活の道具に変身するのである。

 こうした技術は、おそらくもう何千年も昔から、はるか縄文時代から受け継がれて来たのだろう。縄文文化は縄の文化だった。獲物を捕らえり、縛ったりするときにも縄が威力を発揮した。縄は生活の必需品であったばかりでなく、彼らの生きる技術力の象徴でもあったと考えられる。

 彼らの使った土器には縄を押しつけた跡があり、いわゆる縄文土器といわれている。これも単なる装飾ではなく、縄の持っていた呪的な生命力をそこに付着させたのだろう。

 狩猟、漁業、採集を生活基盤とする彼らは、食べ物は神からの授かり物であると信じていた。動物も魚も、木の実にも、そして道具にも心があり、生命があるものだと信じていた。

 その中で縄にはとくに神聖な力があり、神が宿るとされた。その名残は至る所に残っている。神社や正月飾りの注連縄などがそうだ。正月飾りの注連縄には昆布と木炭、松の葉をつけた。こうした風習ははるか縄文時代の名残なのかも知れない。


橋本裕 |MAILHomePage

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